標準戦車計画
フランスの戦車に関する技術は、第二次世界大戦でナチスドイツにより占領されたため途絶していた。
戦後、フランス軍はアメリカから供与されたM47パットン等を装備していたが、1950年代から新型主力戦車を独自開発する道を模索していた。折りしも、隣国の西ドイツも新型主力戦車の開発構想を立てていたため共同開発する運びとなった。
この戦車はシュタンダルド・パンツァーと呼称され、1957年に両国間に協定が結ばれた。
フランスでは1959年から試作車の製作が始まり、翌1960年には完成し試験が開始された。
1962年から西ドイツ・フランス両国にイタリアを加えた三カ国による共同試験が始まり、イタリアはこの試験結果から導入する戦車を決定するとしていた。
同じ時期に西ドイツ国内でも、西ドイツ製標準戦車の試験が開始されており、車体総重量ではフランス製の方が軽かったにも関わらず、僅かに加速性や速度では西ドイツ製の方が勝っていた。
最終的には、フランスの試作車は後にAMX-30と命名され、試験結果に満足したフランス陸軍は1963年に正式採用を決定した。西ドイツのほうもこの後、自国製試作車ベースにレオパルト1を開発しており、結局、標準戦車構想は頓挫してしまった。