概要
- 本名を施夷光という、中国の春秋時代(春秋戦国時代)に存在したと言われる人物。楊貴妃、王昭君、貂蝉と共に、古代中国四大美人の一人に数えられている。
- 1.を元にした創作のキャラクター。西施(モンスト)など他多数が存在する。
1.の解説
中国の春秋時代(紀元前5世紀頃)、越の国の人物。本名は施夷光、姓を施とされ、彼女は東西の2つの施という家族のうち西の方の施であるため西施と呼ばれるらしい。
時代背景としてこの頃、呉という国が忠臣伍子胥の補佐もあって越の国を倒し傘下に収めた。越の知将の范蠡は越王の勾践に対し一旦従順になる振りをして復讐の機会をうかがうように助言。そして范蠡は呉へ美女を送りこみ油断させる作戦に出る。
西施はその中でも特に美しかった。話によると彼女が川の側に居るだけで魚は泳ぐことを忘れて水底へ沈んでしまうという。西施の美しさに目をつけた范蠡は彼女に芸や作法を教え、鄭旦らと共に呉王の夫差の所へ送り込む。
西施の美しさに惚れ込んだ夫差は彼女の為に大変尽くし、遠征や彼女の別荘作りの為に国の財政が悪い方向へと傾いていく。伍子胥は范蠡の作戦に気付いて夫差に彼女を送り返すように助言するが、夫差はこれに反対、伍子胥の事をよく思わない者らに唆され呉国の宝剣である属鏤之剣を彼に渡し自害を命じる。伍子胥は呉に尽くしたのにこの仕打ちは何だと夫差を酷く憎み、自分の目は呉が滅びる様を見れる場所に置くように言い残し、自害した。
西施の為に財を注ぎ込み続け国の力が衰えてきた呉へ、力を蓄えていた越がとうとう攻め込み、夫差は国の外へ追いやられ自殺した。こうして呉は越に倒されたのだ。
西施のその後には、人々が彼女を長江へ投げ捨て殺したとする説や、范蠡と共に国を出て余生を過ごしたという説もある。また、中国の西湖はその美しい景色から西施の生まれ変わりだと言われている。
余談
- そんなこんなで彼女は中国では美女の代名詞となっているが、彼女は大根足だったのではと言われてる。
- 彼女は村にいた頃から胸が痛む病を患っていたらしいが、胸を抑え眉を顰める仕草は普段と比べても尚美しかったそうな。それを醜い女が真似して苦しむ振りをするのだが、それは彼女を寧ろより醜く見せてしまった。むやみやたらに人の真似をすることは愚かという意味のことわざ「顰に倣う」はこのエピソードが元とされる。
- 話によると呉にいる間も故郷の越を想い続けた西施は心から笑わなかったという。が、そんな彼女が唯一笑ったとされるエピソードも存在する。作りかけの別荘にある池の水に写っていた月を両手で掬い「月が私の手の中にある」と夫差に微笑んだという話なのだが、「越」の発音と「月」の発音は同じとされ、これは彼女の心は変わらず越の物であるという彼女の堅い決意の宣言と解釈する者も多い。
- 彼女の別荘として夫差により建設されかけてた館娃宮の跡地は現在は霊岩山寺となっている。この館娃宮は建設中の時点でかなり豪華だったが、夫差は西施の為にこれよりもっと豪華な別荘も建てようとしていた。
現在pixivに上がっている西施の画像はほとんどが王者栄耀というゲームに登場する西施らしい。
関連タグ
西施の顰に倣う:考えなしに人の真似をするものではないということ。
臥薪嘗胆:夫差の生涯を表すような言葉。復讐を果たす為に恨みを忘れないようにすること。
狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る:呉を落とした後、范蠡はこう言って越をこっそり出て行ったらしいが…?