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立花忠茂の編集履歴

2024-12-29 13:05:56 バージョン

立花忠茂

たちばなただしげ

立花忠茂とは江戸時代初期の大名。

概要

父は立花直次、母は永雲院(筑紫広門の娘)、筑後国柳河藩2代藩主、官位は従四位下、侍従、飛騨守


経歴

慶長17年(1612年)に誕生、立花宗茂の養子となる、寛永14年(1637年)に当主となる、同年島原の乱に参加し翌年の寛永15年(1638年)に原城の総攻撃をし加わった、同年柳河藩主となる、寛文4年(1664年)に隠居した、延宝3年(1675年)に死去。

長男・茂虎は側室の子だったため、正室・鍋子(法雲院、伊達忠宗の娘)の子である次男・鑑虎が家督を継いで3代藩主になり、父からの出家勧告を蹴って勘当させられていた茂虎は、兄の不遇に同情した弟・鑑虎によって引き立てられ、立花帯刀家の家祖となった。



外部リンク

立花忠茂 - Wikipedia


関連タグ

武家 江戸時代 立花氏 柳河藩

伊達騒動…継室が伊達忠宗の娘だったため、親類として大きく関わることになった。

立花種次…実兄。父・直次の跡を継ぎ常陸柿岡五千石、後に筑後三池藩一万石の大名となった。

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