概要
元は同名、DTMでDeutsche Tourenwagen Meistarshaftとして、グループA規定で始まったのが最初である。
ドイツ国内メーカーで生産されるツーリングカー(セダン車)をベースに改造を施し、スプリント形式としてシーズンを渡っていくレースカテゴリである。
歴史
概要冒頭のDTMが元である。旧ドイツツーリングカー選手権と称して、現在の元区別される。1992年まではグループA規定のもと争われ、フォード・シエラ・コスワース、BMW・M3 スポーツエボリューション、アウディ・V8クワトロ DTMエボリューション、メルセデス・ベンツ 190E エボリューション等が活躍をみせた。FIAによる度々のテコ入れが功を奏し、ドイツにおいて絶大な人気を誇るレースとなった。
1993年シーズンからは市販車からの大幅な改造やハイテクデバイスの搭載が認められるクラス1規定を導入、メルセデス、アルファロメオ、オペルの3ワークスがそれぞれCクラスV6、155V6TI、カリブラV6・4x4といったハイテクマシンを投入してしのぎを削った。
FIAの更なるテコ入れにより96シーズンからはITC(国際ツーリングカー選手権)に一本化されるも、観客動員の低迷とそれに相反するコスト高騰によりメルセデスを残してアルファ、オペルが相次いで同年限りの撤退を表明、このシーズンをもって一旦幕を下ろす事となる。
この時代の主なドライバー
(アルファベット順、太字はチャンプ経験者)
ローランド・アッシュ
ウーヴェ・アルツェン
フランク・ビエラ
ジョニー・チェコット
クリスチャン・ダナー
ヤニック・ダルマス
ジャンカルロ・フィジケラ
ダリオ・フランキッティ
ジョルジオ・フランチア
アレクサンダー・グラウ
ロベルト・ラヴァーリア
ニコラ・ラリーニ
クラウス・ルトヴィッヒ
JJ・レート
エレン・ロール
ヤン・マグヌッセン
ステファノ・モデナ
アレサンドロ・ナンニーニ
クリス・ニッセン
エリック・ヴァン・デ・ポール
マニュエル・ロイター
ケケ・ロズベルグ
ベルント・シュナイダー
パー・シュトレソン
スティーブ・ソパー
ハンス=ヨアヒム・シュトゥック
フォルカー・ストレイチェク
クルト・ティム
イェルク・ファン=オンメン
ジョン・ウィンター
第2期(現在のDTM)
2000年に各メーカーの協定によりDTMは現在の名称に変更し、復活することになる。
現在エントリーしているのはメルセデス・ベンツ、アウディの二社のみであるが、2012年よりBMWも参戦決定しているため、今後一層の盛り上がりを見せるだろう。
マシンメイク
エンジンは専用設計のV8エンジンをフロントに搭載し、リア駆動させるFRレイアウトである。
性能的にはSUPER GTのGT500クラスが近いが、あくまでもエンジン性能である
ABS、トラクションコントロールなどの電子制御デバイスは一切禁止されており、ギヤボックスは事前に用意された2種類からの選択となる。
また、派手なエアロデバイスを持つのも特徴である。リアからの眺めは圧巻の一言である。
参戦車両
・メルセデス・ベンツ
AMG Mercedess C-Klasse(C-クラス)
・アウディ
A4
・BMW(2012年参戦)
M3
こぼれ話
ちなみにDTM、クラッシュがとても多いことでも有名である。
スプリントレース、電子デバイス無しなどの様々な理由が考えられる。
接触でカナードが取れるなど朝飯前であり、ウイングが吹っ飛ぶ、脱輪する、バンパーがパージする等々、ユノディエールで宙を舞ったCLKも苦笑いの芸達者なドライビングを見ることもできる。
一つ面白い話として、2010年シリーズ最終戦の上海サーキットで起こった事例を上げる。
規定周回の75%以上のラップを重ねてチェッカーまで残り7分、レースも最終盤である。コーナー進入で争っていた2台のうち1台が制御を失い、道連れと言わんばかりにもう1台も一緒にスピン。大事には至らなかったもののコースを完全に防いでしまいそのままレッドフラッグ→レース終了となった。なんとも間の抜けたケースである。市街地コースも使うDTMならではの珍アクシデントだろう。
余談だがDTMにはトップカテゴリとしては珍しく、女性レーサーが2名参戦している。
また、「ペヤング先生」の愛称で親しまれる、デビッド・クルサードが活躍しているのもこのDTMである。
ピット作業の速さにも定評がある。3.0秒で全てが完了してしまう彼らの息ぴったりの作業もDTMの醍醐味だが、焦りすぎて失敗してしまうのもよくある話だ。