ドイツツーリングカー選手権
どいつつーりんぐかーせんしゅけん
開催時期によって第一期(1986~1995年)、第二期(2000年~)に分けられる。第一期はDeutsche Tourenwagen Meistarshaft、第二期はDeutsche Tourenwagen Mastersと微妙に正式名称が異なっているが、どちらも略称は『DTM』、和訳も「ドイツツーリングカー選手権」である。
ドイツ国内メーカーで市販されるツーリングカー(セダン・クーペ)を改造したマシン、ないしはそれらを模した外観のレーシングカーで、スプリント形式で開催されるレースカテゴリである。
歴史こそ長いが隆盛と衰退の差が激しいカテゴリで、最盛期はドイツのみならず欧州全土、果ては中国までも転戦するほどの人気ぶりを示したかと思えば、様々な要因で参戦メーカーが1~2メーカーのみになってしまうことも何度か起きている。
元F1ドライバーや、これからF1に行くドライバーが参戦することが多いのも見どころの一つである。日本でも有料放送されており、コアなモータースポーツファンから愛されている。
1992年まではグループA規定をベースとした独自規定の下に争われ、フォード・シエラ・コスワース、BMW・M3 スポーツエボリューション、アウディ・V8クワトロ DTMエボリューション、メルセデス・ベンツ 190E エボリューション等が活躍をみせた。元々はプライベーター主体であったが、ワークス戦争の本格化から1990年には製造者部門(メイクス)タイトルも掛けられるようになった。
1993年シーズンからは4ドア車をベースに排気量上限を2.5Lとし、大幅な改造と先鋭的な電子デバイス装備(トラクションコントロールやABS、4WD化など)が可能な『スーパーツーリング』規定の『クラス1』が導入された。
1992年にアウディ・BMWが相次いで技術規則の解釈を巡って運営と衝突し撤退してしまっていたが、アルファロメオ、オペルを呼び込むことに成功したため、これにメルセデスを加えた3ワークスがそれぞれ155V6TI、カリブラV6・4x4、CクラスV6、といったハイテクマシンを投入してしのぎを削った。
FIAのテコ入れにより、95シーズンはITC(国際ツーリングカー選手権)のタイトルも掛けられ、96年にITCに一本化されるが、観客動員の低迷とそれに相反するコスト高騰により、メルセデスを残してアルファロメオ、オペルが相次いで同年限りの撤退を表明、このシーズンをもって一旦幕を下ろす事となる。
2000年に各メーカーの協定によりシリーズが復活。開発競争の過熱でコストの高騰を招いてしまった第一期の反省から、マシンの大部分を共通パーツとし、低コストで参戦できるシルエットタイプカーとなった。エンジンは自然吸気V8、駆動形式もFRで統一されている。ABS、トラクションコントロールなどの電子制御デバイスは一切禁止されており、ギヤボックスは事前に用意された2種類からの選択と、かなり徹底している。
しかし、いくら低コストとはいえ空力設計はフォーミュラカーに近く、コーナリングスピードの速さから「世界一速い箱車」の異名を持つ。派手なエアロデバイスも特徴の一つで、リアからの眺めは圧巻の一言である。
このように第一期とは全く異なる規定となったが、名称は変わらず『クラス1』と称された。
当初は4ドアセダンがベース車両に指定されており、オペル、メルセデス・ベンツ、アウディが参戦していたが、2005年にオペルが撤退して長らく2社のみであった。2012年よりクーペボディが導入されてBMWが参戦(正確には復帰)したことで、ドイツの誇る高級車3メーカーの三つ巴になり再び黄金期を迎えた。
ベース車両としてはアウディがRS5(2013~)、BMWがM4(2014~)、メルセデス・ベンツがAMG Mercedess C-Class(C-クラス,C204)を長らく用いていた。
また日本のSUPERGTのGT500クラスも、日欧交流戦を目論んで2014年からシャシーのみクラス1規定を採用。性能調整の問題(エンジンもタイヤも全然違う)に加え、DTM側に旨みがないことから、ファンからは交流戦の実現は厳しいだろう、と思われていたが、双方の開催実現への努力の甲斐があって、2019年にホッケンハイムと富士スピードウェイにてめでたく実現した。
しかし交流戦に前後して、近年の『CASEの時代』と呼ばれる自動車業界を取り巻く情勢の厳しさから、2018年をもってメルセデスが撤退(GTとの交流戦が実現したのは、これに焦ったDTM側が人気回復のために歩み寄ったからだという説がある)。入れ替わりでアストンマーチンが参戦したものの、競争力を全く示せないままわずか1年で撤退。さらに2020年には長年参戦し続けできたアウディすらも撤退してしまい、シリーズの存続危機に陥ってしまった。
結局運営のITRは世界中で人気のグループGT3規定を導入して延命するが、同国にはすでにドイツ自動車連盟(ADAC)による『ADACマスターズ』というGT3レースが存在していたため格は低下。2023年の電気自動車規定の導入を目指していたが、2022年末をもってITRが解散し、レースはADACに所有権が移った。
2024年現在もGT3レースとして存続しており、将来の電動化が模索されてはいるが、実現の見通しは立っていない。
こぼれ話
クラッシュがとても多いことでも有名である。これにはスプリントレース、電子デバイス無しなどの様々な理由が考えられる。
接触でカナードが取れるなど朝飯前であり、ウイングが吹っ飛ぶ、脱輪する、バンパーがパージする等々、ユノディエールで宙を舞ったCLRも苦笑いの芸達者なドライビングを見ることもできる。
一つ面白い話として、2010年シリーズ最終戦の上海サーキットで起こった事例を上げる。規定周回の75%以上のラップを重ねてチェッカーまで残り7分、レースも最終盤である。コーナー進入で争っていた2台のうち1台が制御を失い、道連れと言わんばかりにもう1台も一緒にスピン。大事には至らなかったもののコースを完全に防いでしまいそのままレッドフラッグ→レース終了となった。
逆に笑えない話としては、2016年には「押し出せ!」という指示をピットが無線でしていたことが大問題になったり、2021年最終戦もオープニングラップの強引な仕掛けによるクラッシュでタイトル争いが大きく掻き回され、物議を醸した。
ピット作業の速さにも定評がある。3.0秒で全てが完了してしまう彼らの息ぴったりの作業もDTMの醍醐味だが、焦りすぎて失敗してしまうのもよくある話だ。
2012年に三社三つ巴になって以降は特に政治色が強く、メルセデスなどはエース一人を勝たせるため、他の全員データ取り役という徹底した差別でチャンピオンをもぎ取ったと言われている。そのためモチベーションを失ってDTMを去るドライバーも後を絶たなかった。
実は過去に日本人もフル参戦していたことがある(現SUPER GTのREAL Racing監督の金石勝智)。また1996年のITC時代の日本開催では鈴木亜久里、関谷正徳、服部尚貴がスポット参戦している。