略歴
遠山景任の妻。元亀2年(1571年)、景任は子供が無いまま病死したため、おつやの方は信長の五男坊丸(後の織田勝長)を養嗣子とした。但し坊丸はまだ幼かったので、おつやの方が当主の座を引き継ぎ岩村城の女城主となった。
その後、元亀3(1572年)11月14日、秋山信友によって岩村城が攻められ、援軍もなかったため窮地に陥った。そこへ、和議の条件として信友が結婚を求めてきたので、おつやの方はそれを受け入れて信友の妻となった。坊丸を武田方に引き渡すなど、ほとんど無血開城に近いものだったようである。 しかし、 天正3年(1575年)の長篠の戦いで武田軍が敗れ、11月21日、岩村城が落とされた後、岩村遠山氏の一族も信友に連座することになり、おつやの方もまた信長に捕らえられて逆さ磔で処刑された。 おつやはその時、「信長も必ずあっけない死に方をさせてやる」といったと言う。
(日本語版Wikipediaより)
戦国大戦において
武田家の武将として、「1570 魔王上洛す」から参戦。
二つ名は「女城主」。
見出し画像は、戦国大戦の元イラストがモデルでもある。
ゲーム上では、『さあ、敵陣に向かって突進!』(開戦前)や、『私はもう、武田の女。後には退けない!』(落城勝利時)という台詞から、勇敢なイメージが強い。
スペックは、コスト1.5 武力3/統率7の騎馬隊で、特技は「魅力」。
同コストに位置する騎馬隊武将の中では武力が最低値なのは少々物寂しい。(おなじ女性武将で同コスト騎馬隊の里美は武力5/統率4)
持ち計略は、武田家特有のダメージ技「火牛の計」。
士気を7使い、発動者を起点とする直線上に位置する敵軍武将に「統率の差に依存したダメージ」を与え、強制的に吹き飛ばす効果を与える。
統率は十分に高いため、決め切れなかった際の奥の手などには十分な破壊力は発揮してくれるだろう。
「さあ、みんな!
思う存分その武を示しなさい!」