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おつやの方

おつやのかた

おつやの方は、織田信定の娘で、織田信長の叔母である。最初は遠山景任の妻で、彼の死後に秋山虎繁と再婚。
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略歴編集

おつやの方(生年不詳 - 天正3年11月21日(1575年12月23日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。織田信定の娘で、織田信長の叔母にあたる。通称は岩村殿修理夫人お直の方


遠山景任の妻。元亀2年(1571年)、景任は子供が無いまま病死したため、信長の家臣である河尻秀隆らが兵を引き連れ入城、おつやの方はは信長の五男(もしくは四男)・坊丸(後の織田信房)を養嗣子とした。但し坊丸はまだ幼かったので、おつやの方が当主の座を引き継ぎ岩村城の女城主となった。しかし、新城主の信長勢と元の城主である遠山氏との間に遺恨が残った。

その後、武田信玄西上作戦が発動し、信長は家康らの援軍にまわり、河尻秀隆は空いた岐阜城へ移動した。

元亀3(1572年)11月14日、武田家重臣・秋山虎繁によって岩村城が攻められ、援軍もなく、先程の遺恨から城内に不和が漂いはじめ窮地に陥った。そこへ、和議の条件として虎繁が結婚を求めてきたので、おつやの方はそれを受け入れて虎繁の妻となった。坊丸を武田方に引き渡すなど、ほとんど無血開城に近いものだったようである。


しかし、 天正3年(1575年)の長篠の戦いで武田軍が敗れ、11月21日、織田信忠(信長の嫡男)により岩村城が落とされた後、岩村遠山氏の一族も虎繁に連座することになり、おつやの方もまた信長に捕らえられて逆さ磔で処刑された。 おつやはその時、「信長も必ずあっけない死に方をさせてやる」といったと言う。


その後、おつやの予言は的中した


戦国大戦編集

うしどり夫婦

武田家の武将として、「1570 魔王上洛す」から参戦。二つ名は「女城主」。

ゲーム上では、『さあ、敵陣に向かって突進!』(開戦前)や、『私はもう、武田の女。後には退けない!』(落城勝利時)という台詞から、勇敢なイメージが強い。

スペックは、コスト1.5 武力3/統率7の騎馬隊で、特技は「魅力」。

同コストに位置する騎馬隊武将の中では武力が最低値なのは少々物寂しい。

(おなじ女性武将で同コスト騎馬隊の里美は武力5/統率4)

持ち計略は、武田家特有のダメージ技「火牛の計」。士気を7使い、発動者を起点とする直線上に位置する敵軍武将に「統率の差に依存したダメージ」を与え、強制的に吹き飛ばす効果を与える。

統率は十分に高いため、決め切れなかった際の奥の手などには十分な破壊力は発揮してくれるだろう。


「さあ、みんな!

思う存分その武を示しなさい!」


関連タグ編集

織田信定 遠山景任 秋山虎繁

織田信房

織田信長 織田信忠

岩村城

美濃

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