データ
概要
睦月型駆逐艦7番艦の艦娘。
駆逐艦娘の中でも特に幼く、セリフも見た目相応の可愛いらしく無邪気な女の子である。その愛らしさは、まとめwikiの史実情報の冒頭に『文月ちゃんは天使である←異存なし』と書かれる程である。文月ちゃんマジ天使!
そんな彼女も夜戦時には水雷戦隊としての血が騒ぐのか「ねえ、こいつら殺っちゃっていい?」
という過激な発言が飛び出したりする。
史実情報
1923年(大正12年)度計画艦。藤永田造船所で建造され1926年7月3日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。当初は「第二十九号駆逐艦」という艦名であり、一等駆逐艦に類別された。1928年8月1日に「文月」と改名された。
太平洋戦争では、フィリピン攻略戦、ジャワ島攻略戦、バタビア沖海戦などに参加する。バタビア沖海戦では、第5水雷戦隊内の第22駆逐隊に、同型駆逐艦である「皐月」「水無月」「長月」と共に所属した。その後はジャワ海方面で船団護衛に従事する。1942年(昭和17年)9月16日、内地、台湾間の船団護衛中に日本郵船の勝鬨丸と衝突し大破、12月まで修理を行った。
1943年(昭和18年)1月31日からのガダルカナル島撤収作戦に参加、その後は輸送作戦に従事した。3月30日にフインシュにおいて敵機の攻撃を受けて損傷、佐世保海軍工廠で8月まで修理。修理完了後はラバウル方面で輸送作戦に従事した。
1944年(昭和19年)1月30日、ラバウルでの空襲で至近弾により浸水、修理のためトラックへ回航する。2月17日、トラックにおいてアメリカ軍空母艦載機の攻撃を受けた(トラック島空襲)。修理のため主機を分解した状態であったため急遽復旧させ、片舷12ノットの速力で回避運動をとっていた。しかし機械室に直撃弾を受け浸水し航行不能、その他至近弾も受けた。曳航して擱座することが試みられたが繰り返される空襲や浸水の増加により曳航できず、翌18日に沈没した。3月31日除籍。