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木村拓也の編集履歴

2013-11-19 15:08:56 バージョン

木村拓也

きむらたくや

元プロ野球選手、指導者。宮崎県出身。

来歴

高校時代は遠投120メートル、HR35本の強肩強打の捕手として鳴らした。

その後、1990年にドラフト外で日本ハムファイターズに入団し、達川光男に見初められて1994年オフにトレードで広島に移籍すると、スイッチヒッターに転向して、尚且つ内外野全て守れる便利屋として活躍する。

このまま広島で現役を終えると思いきや、2006年シーズン中に突如トレードで放出され巨人に移籍。最初は出番が無いと自分でも思っていたらしいが、すっかり参っていた巨人を二塁手として支え、後の巨人の三連覇にも貢献した。

上述のとおり内外野の全ての守備を可能とし、元々は捕手であったことから2009年9月4日には延長戦で負傷退場し、捕手登録枠が無くなったところで10年ぶりにマスクをかぶり、豊田、藤田、野間口とバッテリーを組み、その回を三振二つと外野フライで無失点に抑えた。捕手経験者では小笠原道大もいたが、木村以上にブランクが長いうえ、膝に不安があったので、実質木村しかいなかった。また、2004年のアテネ五輪の時に代表選手に選ばれていたが、その際にブルペンキャッチャーを駆って出ているため、実質的には5年ぶりということになる。なお、高校時代には投手も経験している。

普段から捕手、一塁手、内野手、外野手と4種類のグラブを持ち歩いている。

本人いわく、センターラインから左方向の守備は苦手らしい。

名前がSMAP木村拓哉と同姓同名で、さらに同い年でもあり、テレビ番組で対談するなどお互い面識もあった。なお、その日の対巨人戦で工藤公康からホームランを打っている。


引退~突然の死

2009年現役を引退しコーチに転進。指導者の道を歩み始めた矢先に、マツダスタジアムでクモ膜下出血に倒れ、2010年4月7日死去。享年37歳。奇しくも、現役時代に一番活躍した地で息を引き取った。


新人研修での講義(2010.03.04)より

自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。

それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。

「レギュラーになる、エースになる」だけではない。


応援歌

広島時代

『♫足の速さは誰にも負けない 風を切り走れ 木村拓也』

※現在は木村昇吾に流用されている。


巨人時代

『♫狙い澄ました一撃が勝負を決める vへの道拓け 木村拓也』


関連タグ

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