大淀とは、日本海軍の軽巡洋艦の1隻。艦名は宮崎県の大淀川に由来する。
第二次世界大戦直前、日本海軍が構想していた甲乙丙の3種の巡洋艦のうち、重巡洋艦の甲・水雷戦隊旗艦の乙と並ぶ、潜水艦の集団「潜水戦隊」を率いる丙巡として建造された。
直接敵艦と戦うのではなく、比較的距離をおいたところから、視界の狭い潜水艦に代わって航空偵察を行い、通信で指揮を執ることが想定されていた。そのため、装備の中心は6機の高速水上偵察機「紫雲」と司令部施設であり、武装は対艦戦闘に重きを置いたものではない。そのため、主砲は15.5センチ砲3連装砲2基6門(大和型の副砲と同型である)、副砲として10cm連装高角砲を4基8門、25mm3連装・単装対空機銃で、魚雷は装備していなかった。いわゆる航空巡洋艦に数えられる。
姉妹艦は大戦勃発のため中止されたため、同型艦はない。
1943年2月28日竣工。しかし戦争の様相の移り変わりのため、潜水戦隊旗艦として働くことはなく、輸送任務などにあたっていた。「紫雲」も不作でせっかくの搭載施設も生かせない大淀は図体の割に攻撃力の乏しい軽巡洋艦で、使いどころに困る存在であった。
※但し、対空戦闘においては当時最新式の副砲や機銃に加え、主砲の15.5cm3連装砲も遠距離目標への対空射撃が可能だったため軽巡としては破格の対空能力を持っていた
その大淀に、連合艦隊の旗艦という任務が回ってきたのは、その戦力の乏しさからというのは皮肉である。戦局が逼迫する状況で、有力艦を旗艦任務につけて遊ばせておくわけにはいかないからである。潜水戦隊司令部とはケタ違いの規模を持つ連合艦隊司令部を載せるため、せっかくの大格納庫は司令部に転用された。
その旗艦任務も連合艦隊司令部が陸上に上がったため比較的短期間に終わり、大淀は一軽巡洋艦として、レイテ沖海戦・礼号作戦・北号作戦に参加。最後は本土で爆撃を受け、転覆した。1945年7月28日。