概要
扶桑型戦艦の一番艦。純粋な戦艦としては、日本初の超弩級艦であり、竣工時は世界最大の戦艦だった。
建造の経緯や設計の特徴については、扶桑型を参照。
大戦まで
1915年に竣工すると、すぐに第一艦隊旗艦となった。第一艦隊司令長官は連合艦隊司令長官を兼ねるのが日本海軍の通例だが、日露戦争後より第一次大戦ごろまでは連合艦隊が設置されなかった時期なので、この頃は第一艦隊旗艦こそが日本海軍の艦艇で一番名誉あるものであったろう。
1930年、扶桑は近代化改装を受けたが、この時今まで後ろを向いていた3番砲塔を前に向け直した(山城はそのまま)。このため、艦橋の根元がえぐれるような形となり、設備を高く積み上げたこともあってあの不安定ぽい艦橋が生まれた。
大東亜戦争において
昭和19年10月に米軍がフィリピンのレイテ島に上陸した際、西村艦隊として姉妹艦山城他と共にレイテ湾に殴りこみをかけたが25日未明、レイテ湾南方のスリガオ海峡で米艦隊の待ち伏せ攻撃を受けた(レイテ沖海戦)。
その際、魚雷4本がかねてよりの問題であった『全長の5割に及ぶ被弾危険箇所』に命中し大爆発、艦体が真っ二つに折れて沈没。当時の魚雷の威力が改装時に想定されていた威力よりも大幅に増大していたとはいえ、生存者10人前後という悲惨極まりない最期を遂げた。
このスリガオ海峡での海戦で山城も撃沈され、西村艦隊で生還したのは駆逐艦時雨のみだった。
外見
近代化改装を繰り返した結果の、ジェンガかはたまた九龍城かと揶揄されるほど見た目に不安な艦橋が特徴であり、この独特な外観を好む人もいる。
↑「戦艦扶桑」タグがついているのはそうした事情による。
検索について
pixivにおいては「艦隊これくしょん」における擬人化キャラクター(扶桑(艦隊これくしょん))の投稿が多いが、上述の通りその独特な外観が好まれ、本艦そのものに関する投稿も少なくない。
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