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ローマ帝国属州についてはブリタンニアを参照。

「ブリタニア」はいくつかの異なった意味で用いられているが、もっともよく知られているのは、連合王国の国民的擬人化としての事例だろう。その名前は先住民族のブリソン語でこの島を表す際に用いられた「プレタニー(Pretanī)」という言葉で、ギリシア語にも「プレッタニケー(Πρεττανική)」もしくは「ブレッタニアイ(Βρεττανίαι)」という形で取り入れられ、紀元前4世紀から1世紀にかけて、「アルビオン(Albion)」や「ブリテン(Britain)」と同様、この群島を差す固有の名称として用いられていた。近代のウェールズでは、「プリデイン(Prydain)」という名前が残っている。紀元前1世紀までに、ブリタニアは明確に大ブリテン島を表すものとなった。紀元43年のローマによる征服後、ブリタニアはローマの属州ブリタンニアを表すものとなり、その州はブリテン島南部とカレドニア(大まかに、スコットランド)に及んでいた。ブリタンニアが紀元197年に4つの州へ分割された時、その二つは「上ブリタンニア(Britannia Superior)」と「下ブリタンニア(Britannia Inferior)」と呼ばれた。「ブリタニア」は島の女性的擬人像であり、そして島全体を言及する際にも使われている。

 2世紀に入ると、ローマブリタンニアトライデントで武装し、コリント風の兜で武装した女神として擬人化されるようになった。ブリタンニア属州は5世紀のローマによるブリテン島支配の終焉まで存続し、英語の「ブリテン」や近代ウェールズ語の「プリデイン」を含め、多くのヨーロッパ諸語や諸言語にこの島の名前として取り入れられた。9世紀には、関連する単語「ブレトワルダ(Bretwalda)」が、いくつかのアングロ・サクソンにより、ブリテン島における広い支配権を主張するため使われるようになり、対応する称号「ブリタニアの王(rex Britanniae)」を含め、コインなどに勅許状における称号として刻まれるようになった。しかしながら、イングランドが統一された時に用いられていた称号は、「アングロ・サクソンの王(rex Angulsaxonum)」というものだった。単語が用いられなくなった数世紀が経過し、イギリスのルネッサンス期に入ると、このラテン語形は、イギリスの国民的独自性をレトリック的に呼び起こす言葉として復活した。特に、1707年のイングランド王国とスコットランドを統一した合同法の以後、戦争女神としてのブリタニアは、もっとも著しい例としては『ルール・ブリタニア』に見られるように、イギリスの海上戦力や統一の紋章として用いられるようになった。

 イギリスの文化的アイコンとして、彼女は2008年の再デザインまでのイギリスの硬貨全てに用いられており、毎年の「ブリタニア」金貨銀貨に現れ続けている。2015年、新たに決定された2ポンド硬貨が、新しいブリタニアの像を伴って発行された。彼女は英国レコード産業協会の毎年の音楽賞であるブリット賞の小像にも描き出されている。

 近代に入ると──ブリタニアのような、対応するローマの神格が欠落している場合には──同時代に存在している国家の、古代の地域に存在していたかつてのローマ属州の名称が、現代の国名として屡々選択された。同様の例としては、ゲルマニアヘルウェティアが挙げられる。

ギリシア・ローマ時代

 この名前の形を最初に用いた著述者はギリシア人探検家で地理学者だったピュテアスで、紀元前4世紀のことだった。ピュテアスは「プレッタニケー(Πρεττανική)」もしくは「ブレッタニアイ(Βρεττανίαι)」について言及し、それはヨーロッパ北西部の沿岸にある、離島の集まりを差すものとされた。紀元前1世紀には、シケリアディオドロスが「プレッタニア(Πρεττανία)」について言及しており(Christopher Snyder, The Britons, p.12, Blackwell Publishing, 2007)、それはギリシア人がブリテン諸島の住民と考えていた「プレタニー人」の固有名称の翻訳としていた(Stephen Allen, Lords of Battle: The World of the Celtic Warrior, p.174, Osprey Publishing, 2007. またNorman Davies, The Isles a History, p.47, Macmillan, 2000)。ギリシア語の用法に続いて、ローマ人は複数形でInsulae Britannicaeという言葉を用い、それはアルビオン(大ブリテン島)、ヒベルニア(アイルランド)、トゥーレ(おそらくアイスランドもしくはオークニー)及び多くの小さな島々を含めた名前だった。時が経ち、アルビオンは明確にブリタニアとして知られるようになり、諸島全体の名としての用法は低下していった(Snyder, The Britons, p. 12)。

 紀元43年のブリタンニア属州の創設と統合は、クラウディウス帝に結びつけられるのが普通だが、ユリウス・カエサルはすでに紀元前55年から54年、彼の2度の遠征の間に南部および東部のブリテン諸王朝に対するローマの権威を打ち立てていた(John Creighton, Britannia: The Creation of a Roman Province, Routledge. p.3, 2006)。カエサルは王の息子たちを人質に取り、部分的に教育を受けさせるべくローマへと帰還した。

 紀元43年にローマによる征服が始まり、ラテン語でブリタンニアと呼ばれるローマの属州の設立が続いた。ローマ人たちは島の全体を征服することはなく、ハドリアヌスの長城カレドニアとの境界線として建設した。カレドニアは、境界線であるハドリアヌスの城壁が現在のイングランド北部の中に含まれているとはいえ、おおまかに近代のスコットランドの領域をカバーしている。現在のスコットランドの南部はおよそ20年をかけて紀元2世紀の中ごろにローマ人に占領され、ピクト人を北部へ押しとどめるべく、アントニヌスの長城が築かれた。ローマのブリタンニア属州に住む人々は「ブリタンニ(britannī)」、もしくは「ブリトン人(Britons)」と呼ばれた。スコティ(ゲール)人が住むアイルランドはローマの侵攻を受けることなく、ヒベルニアと呼ばれていた。

アシェラッド

 ブリテン島の征服が始まった時期、クラウディウス帝は二度訪れ、あたかも彼が征服者であるかのように「ブリタンニクス(Britannicus)」のアグノーメンで称えられた。1980年にアフロディシアスで発見されたフリーズは、「ブリタンニア」と銘が刻まれた、剥き出しの胸を晒し、兜を身に着けた女戦士が、皇帝の踵の下で苦悶している像を描き出している(Timothy W. Potter and Catherine Johns, Roman Britain, University of California Press, p.40, 1992)。ハドリアヌス帝の下で発行された硬貨には、彼女はより威厳ある女性像として現れている。ブリタニアの擬人化像は、都市国家アテーナイの守護神パラス・アテーネー、もしくはそれに相当する、ローマの守護神であるカピトリヌスの三神(ユーピテルユーノーミネルウァ)の一柱ミネルウァに遡ることができる。これらの女神はともに知識と国家の連帯を象徴し、ラテン語の「ゲニウス・ロキ(Genius Loci)」、逐語的に「地霊」を意味する概念で表されていた。初期のブリタニアを女神像として描き出した図像は、ブリタニアをコリント風のを装着し、整った形の胸を晒し、白い衣を纏った乙女の姿で描き出している。彼女は普通、石の上に坐して、トライデントを携え、傍らに盾を凭せかけた姿で描かれている。コインのもう片面では、彼女は波の上にある球体の上に腰かけている(ブリテン島は当時、世界の端にあると考えられていた)。同じ型のコインが、アントニヌス・ピウスの下でも発行されている。

復活

中世

 ローマ人の撤退の後、「ブリタニア」という言葉はブリテン島でも諸外国においても用いられていた。ラテン語は先住民族ブリトン人の著述家たちの間でも普遍的で、そこから発展したウェールズの伝統の中でも用いられていた。ブリタニアという言葉(もしくは、先住民族の言葉におけるプリデイン)の変形は、『ブリトン人の歴史(Historia Britonum)』、『プリデインの予言(Armes Prydein)』、そして中世盛期に西欧全体で先例のない人気を集めた、12世紀の『ブリタニア列王記(Historia Regum Britanniae)』といった、ウェールズの著作の多くの中に出現している。

 ブリトン・ケルト人の移住後、ブリタニアという単語はアルモリカ半島(少なくとも、6世紀以降)に言及する際に用いられるようになった(Léon Fleuriot, Les Origines de la Bretagne: l'émigration, Paris: Payot. pp. 52–53, 1980)。近代の英語フランス語ブルターニュ語ガロ語においてこの地域を意味する名称となり、それらはすべて「ブリトン人の土地」を差す「ブリタニア」の用法から導き出されている。二つの「ブリタニア」は、大陸の半島からブリテン島を区分する、「大ブリテン(Grande Bretagne)」という言葉の語源になった。

 ブリテン島へのアングロ・サクソンの移住後には、「ブリトン」の語は、ケルト語を話す先住民族のブリトン人にのみ言及するものになった。この語が、大ブリテン島もしくは連合王国住民を差して用いられるようになったのは、比較的最近のことである。

ルネッサンスイギリス帝国

 エリザベス1世の統治下で、「ブリタニア」は再びブリテン島の擬人化として用いられるようになった。1576年、ジョン・ディーは彼の著作General and rare memorials pertayning to Perfect Arte of Navigationの扉絵に、岸辺に跪くブリタニアがエリザベス1世に、海軍増強を通じて帝国を守るよう訴える図像を用いている(Virginia Hewitt, 'Britannia (fl. 1st–21st cent.)', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, Sept 2004)。

The Sun Never Sets

 エリザベスの1603年の死によって、彼女のスコットランドの従兄弟である、スコットランド王ジェームズ6世が王位を継承することになり、イングランドの玉座に就いた。彼はイングランド王ジェームズ1世となり、イングランド王国(およびドミニオン・オブ・ウェールズ)、アイルランドスコットランドが彼個人の統治下に組み入れられた。1604年10月20日、ジェームズ6世/1世は自身を「大ブリテン、フランス、およびアイルランドの王(King of Great Brittaine, France and Ireland)」と宣言した。この称号は、彼の後継者たちの多くによって用いられ続けることになった(Francois Velde, "Royal Arms, Styles, and Titles of Great Britain". www.heraldica.org.)。ジェームズがイギリスの王位についた時、いくつかの式典が入念に催された。1605年にロンドンの街路で行われた式典の一つが、アンソニー・マンデイの著作『再統合されたブリタニアの勝利(Triumphs of Reunited Britannia)』の中で描かれている。


「ブリテン島それ自体として描き出された三角形の上に、公正で美しいニンフ、ブリタニア自身の姿のもと、我々は最上席に坐している……」


 18世紀の書記から19世紀の初期にかけて、何度か増補されながら出版された最初のブリテン島の道路地図は、Britannia Depictaという題名を冠していた。

ロイヤル艦隊!

 チャールズ2世の統治の間、ブリタニアは1672年、イングランドのファージング硬貨に初めて現れている。1707年のイングランドとスコットランドとの、そしてその後の1800年のアイルランドとの制度的統合の後、ブリタニアはますます重要なシンボルになると同時に、リベラルな政治システムと、ブリタニアのイメージにそれらのアトリビュートを添える、海軍の優位性に基づくイギリスの力の結集になっていった。ヴィクトリア女王の時代までに、ブリタニアは刷新された。彼女は茶髪もしくは金髪若い女性として描かれ続け、コリント風の兜と白いローブを保っていたが、今やポセイドーントライデントを携え、イギリスの海軍力を表象する高いマストの船と外洋を前にして立っているか、腰を下ろしていた。彼女は通例、ギリシア重装歩兵の楯を携えているか、傍らに立てかけており、その楯はイギリスユニオン・フラッグを表していた。その足元にはイングランドスコットランドプリンス・オブ・ウェールズの盾章に表された動物である、イギリスのライオンもしばしば描かれた。

センシティブな作品

 ネプトゥーヌスが象徴的に彼のトライデントをブリタニアに手渡している様が、1847年のウィリアム・ダイスによるフレスコ画〈ブリタニアに海の帝国を渡すネプトゥーヌス〉に描かれた。この絵画は、ヴィクトリアの委任で、ワイト島の彼女のオズボーン・ハウスを飾るため制作された。

Atlantic Queen

 ニュージーランド人は、彼らの国をブリタニアの娘「ジーランディア(Zealandia)」を用いた同様の擬人化を採択した。ジーランディアは20世紀の変わり目に郵便切手に現れ(1901 Penny Universal, Stamps NZ. Retrieved 25 January 2010)、現在でもニュージーランドの国章の中に表されている(National Coat of Arms of New Zealand, Archived 5 December 2010 at the Wayback Machine, Heraldry of the World. Retrieved 25 January 2010.)。

 おそらく連合王国およびイギリス帝国に対するブリタニアに類する例の最良のものは、フランスに対するマリアンヌや、合衆国に対するコロンビアが挙げられる。

イギリス貨幣および郵便切手における描写

硬貨

 を携えたブリタニアの原型は、ハドリアヌス帝の統治下の紀元1世紀のローマで鋳造された青銅の硬貨に発見される一方、イギリスの硬貨では、1672年のファージング硬貨に初めて現れた。より初期のいくつかのパターンは1665年に登場しており、同年の半ペニー硬貨も後に続いている。ブリタニアの図像は、サミュエル・ピープスによれば、未来のリッチモンド公爵夫人で、彼女へのチャールズ2世の心酔にもかかわらず、国王の愛人になることを拒絶したことで名高いフランセス・ステュアートをモデルにしている。ブリタニアは当時、残りの17世紀から1936年まで通してイギリスの半ペニー硬貨の上に表され続けた。アン女王の統治下における半ペニーは、ブリタニアを女王自身に似せて描き出している("3 – The Halfpenny". Coins of the UK. Tony Clayton.)。イングランド銀行が許可状を交付された1694年には、重役たちは数日の間に、彼らの公式の印章の図案にブリタニアの姿を採用した。ブリタニアは1797年から1970年の間のペニー硬貨、1836年から1837年にかけてウィリアム4世の下で発行された4ペンス硬貨、1969年から2008年の間の50ペンス硬貨に現れている("Britannia 2015 UK £50 Fine Silver Coin". Royal Mint. Archived 3 December 2015 at the Wayback Machine)。

 2008年の春、王立造幣局は「近代の21世紀のイギリスをより反映した」新たな硬貨のデザインを公開した("2008 Emblems of Britain Silver Proof Collection". The Royal Mint. Archived from the original on 14 October 2008.)。それは、ブリタニアの姿を採用していなかった。この決定は論争を呼び、タブロイド紙、特に『デイリー・メール』紙が、「ブリタニアを救え(Save Britannia)」キャンペーンに着手した。しかしながら、政府は「初期の50ペンス硬貨は、近い将来においても流通し続けるだろう」と指摘した("Royal Mint unveils coin designs". BBC News. 2 April 2008.)。ブリタニアは王立造幣局が発行する「ブリタニア」金貨や銀貨にも表れている。

 最終的な2ポンドの新たな効果は2015年に発行され、ブリタニアの新たなイメージを伴うものだった。2015年の暮れには、10000個の限定版で50ポンド硬貨が生産され、一方にはブリタニア、一方には女王エリザベス2世の姿を負っていた。

銀行券

 ブリタニアの図像は「ホワイト・ファイヴァー(white fiver)」、1855年から1957年まで、1世紀以上の間刷り続けられていた白黒の5ポンド紙幣の上にも表れていた("£5 note, Bank of England". British Museum. Archived from the original on 3 February 2013. Retrieved 24 January 2013.)。

郵便切手

 ブリタニアは、ジョージ5世の統治下で発行された高額の郵便切手(「シーホース」と呼ばれた)に描かれ、1993年に発行された10ポンド切手にも描かれていた。

紙幣におけるブリタニアの透かし

 ブリタニアの透かしは製紙工場において、主に彼女が座った姿で描かれていた。

ブリット賞

 ブリタニアは英国レコード産業協会の毎年の音楽賞であるブリット・アワードの小像にも描かれていた("Dame Zaha Hadid's Brit Awards statuette design unveiled". BBC. 1 December 2016. "Damien Hirst's 2013 Brit Award statue unveiled". BBC. 1 December 2016)。ブリタニアの小像は定期的に、ヴィヴィアン・ウェストウッド、ダミアン・ハースト、トレイシー・エミン、ピーター・ブレイク、ザハ・ハディードを含む、いくつかの高名なイギリスのデザイナー、スタイリスト、芸術家によって新しくデザインし直された。

その他の名称

「ブリタニア」の名前は、ブリテン島とイギリス愛国主義を象徴するものとして、多様な目的に応じて採用された。

  • ブリタニア・シルヴァー、1697年にブリテンで導入された高級な銀合金。
  • ブリタニア・コイン、1987年以降に発行された一連のイギリスの金貨、額面価格は100、50、25、そして10ポンド。
  • HMSブリタニア、王立海軍の8隻の艦船。
  • HMYブリタニア、ジョージ5世の有名な競争ヨット
  • ブリタニア王立海軍兵学校、王立海軍の士官養成学校。
  • 以前の王立ヨットで、王室の個人用ヨットのブリタニア号。スコットランドのエディンバラ、リースにて退役。
  • RMSブリタニア、1840年のサミュエル・キュナードに所有された最初の蒸気遠洋巡洋艦
  • SSブリタニア、1925年のイギリスの定期船、ドイツ第三帝国の仮装巡洋艦トールによって1941年に122名の乗組員および127名の乗客と共に撃沈される。
  • MVブリタニア、P&Oクルーズの保有する客船で、2015年に就役した旗艦。
  • 1740年に曲がついた愛国歌『統べよ、ブリタニア!』。
  • ブリタニア住宅金融組合、ブリタニア・エアウェイズ、ブリタニア・インダストリーズなどの会社名。
  • ブリタニア級、1951年から1954年の間に製造された、イギリス国鉄7型蒸気機関車の別名。イギリス国鉄の最初の標準型車両。1951年に製造された第70000号が保存されており、同様に「ブリタニア」と命名されている。
  • ブリタニア住宅金融組合、1世紀以上取引を行っており、協同組合銀行との2009年の合併後は、「ブリタニア」として操業を続けている。
  • コードギアス」シリーズに登場する架空国家神聖ブリタニア帝国
  • ストライクウィッチーズ」シリーズでイギリスをモデルとしたブリタニア連邦

また、ギリシャにおいて連合王国の呼び名でもある。

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