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概要

 ミリツィア(ラテン語で「軍」「軍務」「義勇兵」を差すmīlitiaに由来。その語源は、「戦士」を意味するmīlesで、恐らく「千」を意味するmīliaに関連する)は、ロシア語ウクライナ語ベラルーシ語。つづりはМилиция(ロシア語)、Міліція(ウクライナ語、ベラルーシ語)。複数の意味を持つ。

準軍事組織

 企業や交通・輸送網の人権侵害や火災からの防衛、大衆施設での秩序の維持、該当する地域での法律違反の阻止のため設置される準軍事組織。いわゆる民兵(ミリシア)。

民警

 法制度・法秩序の防衛機関に属する、専門的な国家職員(警察に相当)。いわゆる民警

 ロシアでは、ミリツィアはロシア共和国十月社会主義革命後はロシア社会主義連邦ソヴェト共和国および白軍の「ロシア国家」で設置され(※1)、その後ソヴェト同盟および四つの社会主義国(ブルガリアポーランドルーマニアユーゴスラヴィア)に派生していった。

 pixivでは殆ど、TVアニメ『ウサビッチ』に登場する、ボリスコプチェフの事を指す。


 ちなみに「民警タグも大抵はボリスとコプチェフの事を指している。

「民警」と「ミリツィア」は日本語表記かロシア語表記かの違いなので、実質重複タグであるとも言える。


 ちなみにロシアでは2011年に、ウクライナでは2015年に警察の呼称がポリツィア(Полиция、Поліція)に変更されているが、ベラルーシ共和国やウズベキスタン共和国などににおいては依然ミリツィアのままである。

 ソヴェト同盟および社会主義ブロックの解体後、ミリツィアの名称は「警察」へと書き換えられた。

 ミリツィアの基本的な機能は、国家の指標を保ち、市民の権利と社会を守ることである。ミリツィアは国の公共の秩序と治安として機能する、国家の執行システムとしての機関である。ミリツィア職員は、ミリツィオネールмилиционер)と呼ばれる。


※1 Ulrich von Beck. ОМОН создал… Колчак | История России. Багира Гуру (1 октября 2010). Дата обращения: 29 сентября 2020.

ミリツィアという名称について

 ラテン語のmilitiaという言葉はそもそもmiles、「千」「(ローマの)軍団」と関連している。しかしキリスト教徒には、「殺してはならない」という戒めがあった。キリスト教に帰依している兵士は、首座使徒パウェルの手紙「蓋し彼は神の僕にして、爾の益の為に立てられたり。然るに爾若し悪を行なはば、畏れよ、蓋し彼が剣を佩ぶるは徒然ならず」(ロマ人に達する書第13章第4節)に合致する役目のみを遂行する権利があった。トゥールのマルティヌスさえ、キリスト教徒罪人とのみをもって戦い、十字架をもって相手にあたり、殺すよりは殺されることを好むとして、戦時にも敵と戦うことを拒絶した。

 しかしその後、メディオランの司教聖アムブロシイによってキリスト教国教となり、アムブロシイの弟子である聖アウグスティンは著作『告白』の中で、使徒パウェル(サウロ)自身を、ローマのプロコンスルであったパウェルキリストに従わせ、その名だけを受け継いだ民兵militiam)と呼び表した。聖アウグスティンは、民兵の戦闘の範囲についても言い表している。戦争は公正なものでなければならず、民兵は倫理的な規範──命令に基づいて剣を外し、自らの敵を愛し、彼を正し、斬り合いや、略奪や、放火を避けること──を遵守せねばならなかった。剣の代わりに十字架を携え、正しい戦いにおいて、聖職者のみが話をする権利を持った(※1)。キリスト教徒の生活とは、神の民兵としての勤務にあるとされた。「この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。傭兵のように日々を送らなければならない(Militia est vita hominis super terram, et sicut dies mercenarii dies eius)」(ヨブ記第7章第1節)。それゆえに、西欧の出家した修道会は、武装していないものをも含め、「神の民兵(Militia Dei)」(教皇エウゲニウス3世の教皇勅令など)「キリストの民兵(Militia Christi)」と呼ばれた。

警察を代行する、社会秩序の保安機関」の意味としての「民兵」は、警察長官を解任し、治安の確保の義務を予備軍的な国民衛兵に対して委任する、1871年のパリ・コミューンの記事の中で復活した。カール・マルクスは、コミューンのもっとも重要な、3月22日の檄文の中の、国民衛兵中央委員会により強調された決定を新聞から書き出している。「市内では、国民民兵が市民を敵から守り、市民から権力を守っていた常備軍の代わりとなっている(elle donne à la cité une milice nationale qui défend les citoyens contre le pouvoir, au lieu d'une armée permanente qui dé- fend le pouvoir contre les citoyens)」。新聞は、国民衛兵を「民兵」にあたる語で呼び表している。

「(聖アウグスティンの意味での)民兵」としてロシア帝国で「ミリツィア」が組織された例は、以下のものが挙げられる。

「ミリツィア」という用語は、「政権が状況(内乱、敵の進出を予期しての疎開)によってその機能を喪失した際、警察勤務、治安任務のため組織された、住民からなる義勇兵部隊」を差すためにも用いられた(※2)。

 このことから、1917年の二月革命における騒擾警察の解体という状況下で、「ミリツィア」が合法的なものとして、二重権力という情勢によって、軍事技術支援委員会のミリツィア(学生が配属されたため「学生の」ミリツィアと呼ばれた)、ペトログラート市ドゥーマのミリツィア、ソヴェト労働者ミリツィアが創設された。二月革命の過程で、ロシアでは臨時政府がロシア帝国内務省警察部を廃止し、第一に「社会的な警察へ」、その後「地方自治機関に服属する、選挙で選出される長官たちを擁する人民のミリツィアへ」置き換えられるものとした。この「人民ミリツィア」の原型となったのは、1917年のペトログラート・ソヴェトの「学生の」ミリツィアと「市」ミリツィア、そして労働者ミリツィアの統一に関する決議を通じて設置された、ペトログラートの人民ミリツィアである。地方自治団体を維持する機能の上で人民ミリツィアの法的な基盤となったのは、1917年4月30(旧暦では17)日の臨時政府の「ミリツィアの設立について(Об учреждении милиции)」および「ミリツィアについての目下の情勢(Временное положение о милиции)」という決議だった。しかしこの決定は完全には履行されなかった(※2、※3)。1917年4月17日のロシア臨時政府の決議は、二月革命後「ツァーリの」警察を、まさに「治安の維持」に専心するのであって「(不正な手段も含めて)権力の防衛」にではない「民兵」へと置き換えた。この改名のアイディアは、警察の解体という状況下での合法的なミリツィアという範囲にとどまらず、デ・キュスティーヌの定義する、すなわち犯罪の防止や調査ではなく、不正行為の隠蔽に専心する「当局」としてのロシア警察からの解放という領域にまで及んだ。すなわち、警察勤務に就く戦士騎士階級)であり、犯罪との闘争を主導し、犯罪者を助けるのではなく(犯罪を隠蔽せず)、彼らを愛し、その矯正を助ける、初期キリスト教の定義したような「民兵」への回帰である(1917年の旧暦2月28日には兵士たちがミリツィアとなり、十名ごとにペトログラートを知る学生が配属された〔※4〕)。この認識では、警察権力は「警察」という閉鎖的なカーストではなく、あらゆる人民によって主導されねばならないとされた。

 以後、「ミリツィア」という語が「労働者・農民ミリツィア(Рабоче-крестьянская милиция)」という名称にも用いられた。ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国НКВДの1917年11月10日(旧暦10月28日)の決議「労働ミリツィアについて(О рабочей милиции)」が、労農ミリツィアの設立の基盤となった。この用語はその後、ソヴェト社会主義共和国同盟の勢力圏内に入った地域や国々に波及していった。

 ソヴェト同盟および社会主義体制の解体後、多くの以前の社会主義諸国、かつてのソヴェト同盟共和国および旧ソヴェト同盟領内の未承認諸国は、ミリツィアを警察と改称した。いくつかの国々では、ミリツィアの名称が維持されている。これらの国々では、共産主義諸政党が改称に反対していた。1991年、ソヴェト同盟ではミリツィアの改名に関する法案朗読が行われたが、法令が議会を通過することはなかった。こうして、ロシアでミリツィアという名称が二十年延命することになった。

 2010年、ミリツィアの改名についてアブハジア(※6)、キルギス(※7)で議論されたが、それらの改名はいずれの国内でも実現していない。


※1 О. Бородин. «Отношение к войне и миру в эпоху ранней патристики». «Византийские очерки». М., Индрик, 1996. // krotov.info

※2 «Новый энциклопедический словарь». / Под общ. ред. Арсеньева К. К..-Пг.-Т 26.- с.511.

※3 Аксенов В. Б. «Милиция и городские слои в период революционного кризиса. Проблемы легитимности». // «Вопросы истории». 2001. № 8. С.36-37.

※4 Происхождение названий «полиция» и «милиция». Справка. «РИА Новости» // ria.ru (1 марта 2011 года)

※5 История ведомственного форменного костюма. — Милиция Временного правительства (организация и форма одежды). // vedomstva-uniforma.ru

※6 По примеру России Абхазия готовится переименовать милицию в полицию. // life.ru (15 октября 2010 года)

※7 Владимир Банников. Киргизия лишится милиции. — Кыргызстан решил не отставать от России, на этот раз власти республики намерены переименовать милицию в полицию. // news-asia.ru (14 декабря 2010 года)

歴史

ロシア帝国におけるミリツィア(1918年まで)

「ミリツィア」という用語は、すでにロシア帝国時代には用いられ始めていた。鹿砦線に配置された地方ごとの部隊が、そのように称された。「ラントミリツィア(ландмилиция)」という言葉はピョートル1世によって1709年に初めて用いられ、1713年にはラントミリツィアはクリミア・ハン国へのより効果的な防衛のために統合・再編された。ラントミリツィアから、イズマーイロフスキイ近衛連隊が編成されている。1727年からは「ウクライーナ・ラントミリツィア(Украинская ландмилиция)」と改称され、通常の連隊へと改組される1763年まで存続したが(※1)、その解散に際し、多くの郷士が貴族に叙された。「ザカーミエ・ラントミリツィア(Закамская ландмилиция)」はアーンナ・イヴァーノヴナ治下の1736年、カザフ人オレンブールク地方のバシキール人に対する防衛のため編成された。ザカーミエ・ラントミリツィアは1796年まで存続した。「シビーリ・ラントミリツィア(Сибирская ландмилиция)」はシビーリの南部国境で1761年から1771年まで、「スモレーンスク・ラントミリツィア(Смоленская ландмилиция)」は1765年から1775年まで続いている(※2)。ラントミリツィアは「地方の(земская)」ミリツィア、もしくは単にミリツィアと呼ばれた。1796年、北コーカサスに初めてミリツィアが組織された(※3)。ナポレオン戦争中、「ミリツィア」という用語は再浮上した。民衆の民兵組織、パルチザン部隊がそのように称せられるようになり、ナポレオン軍やオスマン帝国の軍に対するものとされたが、ティルジットの和約のあとに解体されている。この時期から今日まで、そのような組織は単に「民兵(ополчение)」と呼ばれ、コーカサス戦争では地方住民からなるミリツィオネールがロシア軍を補助している。

 常備軍の代用として、武装した人民の民兵組織を利用するという考え──「人民の(народная)」ミリツィア──はF・エンゲルスの著作も含め、左派の革命家たちの間で普及し、理論化されるようになった(※4)。1905年ロシア革命の時期には、人民によって選出された、武装した民衆からなる人民ミリツィアの創設の必要性が表明されるようになった(※5)。В・И・レーニンは1917年、プロレタリアートの自衛部隊としてのミリツィアの創設の問題を理論づけている。


 民主主義とは、国家形態であり、国家の一変種である。したがってまた、それは、あらゆる国家と同じように、人間に対して暴力を組織的・系統的に用いることである。一方ではこうである。しかし他方では、民主主義とは、市民間の平等の形式的な承認を意味し、国家制度の決定と国家の統合とに対する全市民の平等な権利の形式的な承認を意味する。そして、このことは、それはそれで、次のような結果をもたらす。すなわち、民主主義は、そのある発展段階で、第一には、資本主義に対して革命的な階級──プロレタリアートを団結させて、この階級に、ブルジョワ国家機構──たとえ共和制的なブルジョワ国家機構であっても──を、常備軍、警察、官僚制度を打破し、木っ端みじんに破壊し、地上から一掃し、それらのものを、やはり国家機構ではあるけれども、より民主主義的な国家機構に──人民が一人残らず参加する民兵(милиция)に転化しつつある武装した労働者大衆という形で──代える可能性を与える。

(レーニン『国家と革命』第五章第四部、訳文は大月書店『レーニン全集』第25巻、510から511ページ)


※1 В. В. Пенский. «Украинский ландмилицский корпус в XVIII веке». Вопросы истории. 2000. № 10. С. 147—153. // annales.info archived

※2 «Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона». «Ландмилиция».

※3 К вопросу формирования иррегулярных милиционных частей в Русской армии из ингушей (вт. пол. XVIII — нач. XX вв.). Официальный сайт Государственного архива Республики Ингушетия // ingarchive.ru (13 июня 2013 года)

※4 Маркс К., Энгельс Ф., Соч. — 2-е изд.-Т.11.-с.475. Маркс К., Энгельс Ф., Соч. — 2-е изд.-Т. 15.-С. 73, 75. Маркс К., Энгельс Ф., Соч. — 2-е изд.-Т. 11.-С. 100; Т 14.-С. 50. Маркс К., Энгельс Ф., Соч. — 2-е изд.-Т. 14.- С. 109.

※5 Советская печать и литература о Советах. 1905/ сост. В. И. Невский. — Москва : Гос. изд-во ; Ленинград : Гос. изд-во, 1925. — XIII, 3 , 532 с., 8 л. ил., факс.; 26 см. — (1905. Материалы и документы : под общей редакцией М. Н. Покровского/ Комис. ЦИК СССР по орг. празднования 20-летия Революции 1905 г. и ИСТПАРТ ЦК РКП (б)).

ロシア国家のミリツィア

 1918年6月15日の臨時全ロシア政府の布告により、「国家の秩序および社会の安寧について」条例が発布され、その中ではロシア国家内務省の役割が定められていた(※1)。コルチャークの最高執政府に属するシビーリのミリツィアは、国内の治安の防衛にあたり帝国警察と類似の機能を果たした(※2)。1919年5月5日には、特別任務ミリツィア部隊(ОМОН)が組織され(※3)、1988年10月3日、ソヴェト同盟でも改めて設置されている。


※1 Милиция адмирала Колчака | Back in the USSR. maxpark.com. Дата обращения: 30 сентября 2020.

※2 Пишет Михаил. Государственная охрана (политическая полиция) адмирала Колчака. mikle1.livejournal.com. Живой журнал (26 ноября 2016). Дата обращения: 30 сентября 2020.

※3 Александр Агалаков. Отряды ОМОНа создал адмирал Колчак. nsk.aif.ru (8 февраля 2012). Дата обращения: 30 сентября 2020.

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