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概要

西鉄グループの子会社で唯一の鉄軌道事業者である。略称は筑豊電鉄、筑鉄。


概要

営業区間は、黒崎駅前~熊西~筑豊直方間16.0km。かつて黒崎駅前~熊西間0.6kmは西日本鉄道(北九州線)が第三種鉄道事業者として保有して筑鉄が乗り入れる形(上下分離方式)となっていたが、2015年3月1日に筑鉄に移管された。同月14日から筑豊電気鉄道線でもnimocaが使用可能に。

長らくツーマン運転を行ってきた路線であったが、2016年3月12日から平日の朝夕時間帯を除き、3000形5000形使用列車について、ワンマン運転を開始することになった(2000形は対象外)。


社紋は西鉄の旧社紋(通称・車輪マーク)に似ているが、上半分はツルハシが交差・下半分はボタ山が3つというデザインで、親会社のデザイン意図【「西」という字を車輪として図案化】とはまったく違うものである。(これは筑豊が産炭地である事を表していることをアピールするため。)


鉄道事業法準拠路線でありながら車両は路面電車タイプである。

また、2015年3月13日までは日本で唯一の『営業用車両が100%吊り掛け駆動の電車しか走っていない』鉄道事業者として有名だったが、その翌日にカルダン駆動の電車である新型低床車両である5000形が導入されたことでそのイメージを払拭した。

(余談ではあるが、4月からは四日市あすなろう鉄道が『営業用車両が100%吊り掛け駆動の電車しか走っていない鉄道事業者』の名を受け継ぐことに)


なおいくら路面電車タイプの車両だからと言って、特段のんびりコトコト走っているわけでもなく、直線区間だと最高速度60km/hで疾走する。車両が車両だけにかなりのスピード感が味わえる。


歴史

元々は、北九州と石炭産業で栄えていた筑豊地方と福岡市を結ぶ路線として計画していた。

戦前から九州電気軌道【後の西鉄北九州線】や博多湾鉄道汽船【後の西鉄宮地岳線西鉄貝塚線JR九州香椎線】、さらに前記2社他とで合併設立した西日本鉄道鉄道省に建設計画を提出していたが戦前に計画が認められることは無かった。


戦後になってから1949年に西鉄が再び計画書を提出、翌1950年に地方鉄道敷設免許を取得して1951年2月15日に筑豊電気鉄道株式会社を設立した。


計画区間は黒崎~直方~飯塚~福岡間であったが、黒崎~直方、直方~飯塚、飯塚~福岡間の3工区に分けて着工、最初に貞元【現・熊西】~筑豊中間間が1956年に開業した。その後徐々に延伸して1959年に筑豊直方まで開業したが、その後のエネルギー革命による筑豊炭田の相次ぐ炭鉱閉山や、飯塚~福岡間に立ちはだかる八木山峠【福岡と筑豊を分ける峠。筑鉄はここに4.5㎞のトンネルを掘削する計画であった】がネックで以後建設および計画は中止となってしまった【1971年、筑豊直方~飯塚~福岡間の建設免許失効】。

終点の筑豊直方駅の構造が高架駅でプッツリ途切れているのは福岡までの延伸計画の名残である。(筑豊本線を跨ぐための高架駅構造であった)


その後、福岡都市圏と筑豊と北九州を結ぶのは国鉄篠栗線【1968年に筑豊本線と直結。元々は篠栗までの盲腸線であった。】と筑豊本線が担う事になり、筑鉄線は西鉄北九州線に乗り入れる単なるローカル電鉄となってしまったのであった。(一応、筑豊本線の並行路線ではあるが)


歴史に「if」は禁物ではあるが、もし筑鉄が計画通り福岡市内まで開業した上に、西鉄の未成線・雑餉隈線(博多~雑餉隈)と線路がつながっていたら、北九州~直方~福岡~久留米~大牟田間で国鉄との熾烈なバトルになっていたに違いないし、西鉄が今のような日本一のバス会社にならなかったに違いない。


車両

開業時から1975年まで自社で車両を保有しておらず、西鉄北九州線の車両で運行されていたが、1976年以降、西鉄福岡市内線の第一次廃止で余剰となった連接車や廃車となった西鉄北九州線連接車を改造してようやく自社車両を持つようになった。


2000形

福岡市内線および北九州線の連接車(2車体連接車)を改造して製造した3車体連接車。元々は1976年に福岡市内線の余剰連接車を譲受して2車体連接車としてデビューしたが、1977年に改造を施し3車体連接車となった。改造後の塗装は西鉄2000形と同じオキサイドイエローにボンレッド帯であり、通称「黄電(きなでん)」。しかし、7編成あるということで2007年度から2008年度にかけて1編成ずつ色が違うレインボーカラーになってしまった(どこぞの路線じゃないんだから・・・)。


余談ではあるが、最後の「黄電」編成であった2004ACB編成は、映画「おっぱいバレー」の撮影のためレインボー塗装化を遅らせたという裏話があった。


後述の5000形投入と運用本数削減のため廃車が進み、現在は2003編成が最後の編成として活躍している(主に平日ラッシュ時の楠橋〜黒崎駅前間にて)。

その2003編成だが、2018年11月から下り(筑豊直方寄り)前面および側面が西鉄の旧標準塗装である「マルーンとベージュのツートン」、上り(黒崎駅前寄り)前面および側面が「黄電(西鉄2000形と同じ塗装)」というあしゅら男爵ばりのラッピングを施した。1編成しかないゆえの苦肉の策か…………。


3000形

元々は北九州線で余剰となった1000形連接車をそのまま譲受して改番した2100形(通称「赤電」)であったが、非冷房・ヒーター(暖房)なし・車体の老朽化の三拍子であったため、足回りを利用してアルナ工機で更新して誕生した2車体連接車。9編成在籍。一部の編成の台車は、旧西鉄北九州線1000形時代(近畿車輛製)のものから新品のものに更新されたが、この台車こそ日本の吊り掛け駆動電車用台車で最も新しい台車とされている(川崎重工製)。さらにVVVFインバーター(補助電源用)やATSを取り付けたことにより、かつての京阪電気鉄道80形の様に「吊り掛け駆動=旧性能」という式が成り立たないほどの性能をもつ。


1編成(3003AB編成)はサッカーJ2の地元チーム「ギラヴァンツ北九州」のラッピング電車となっている。また、3004AB編成は、2018年8月から西鉄創立110周年記念として、天神大牟田線の車両と同じ「アイスグリーンに赤帯」に塗装変更されている


なお、3000形の種車にならなかった2100形はそのまま廃車となったが、1編成だけ川崎重工に譲渡された(蓄電池式路面電車開発の実験用車両として)。


5000形

筑豊電気鉄道初のカルダン駆動車であり、初のバリアフリー対応低床車である(アルナ車両製)。2015年3月14日に営業運転が開始された。ちなみに2014年11月29日・30日開催の「ちくてつ電車まつり2014」において初公開されている。国と福岡県と沿線である北九州市・中間市・直方市からの支援により、2018年度までに4編成を導入。各編成ごとに車体のカラーが異なる。


車両基地

黒崎(西黒崎駅付近)と楠橋(くすばし)にある。黒崎は車両工場、楠橋は検査および留置機能と分散している。なお黒崎工場は西鉄の所有であったが、2015年3月1日に筑豊電気鉄道に承継された。


駅一覧

駅名(駅番号)特記事項
黒崎駅前(CK01)JR鹿児島本線福北ゆたか線乗り換え
西黒崎(CK02)副駅名・黒崎整形外科病院駅。黒崎工場最寄
熊西(CK03)かつての起点駅。旧北九州線折尾方面との分岐駅だった
萩原(CK04)副駅名・萩原中央病院前。1963年開業。映画「おっぱいバレー」撮影地
穴生(CK05)読みは「あのお」。筑豊中間開業当初からの駅。高架駅
森下(CK06)1956年開業
今池(CK07)1970年開業
永犬丸(CK08)読みは「えいのまる」。筑豊中間開業時からの駅ではあるが、筑豊中間開業から4日後に開業。
三ヶ森(CK09)1957年開業
西山(CK10)1965年開業
通谷(CK11)1964年開業。筑鉄本社所在地。福岡行き高速バス乗り換え
東中間(CK12)1956年開業
筑豊中間(CK13)1956年当時の終着駅
希望が丘高校前(CK14)副駅名・世界遺産遠賀川水源地ポンプ室駅
筑豊香月(CK15)1958年開業
楠橋(CK16)1958年開業。車庫所在駅
新木屋瀬(CK17)2004年4月28日開業の筑鉄で最も新しい駅
木屋瀬(CK18)1958年当時の終着駅。旧長崎街道宿場町
遠賀野(CK19)1959年開業
感田(CK20)読みは「がんだ」。1959年開業
筑豊直方(CK21)1959年開業。高架駅。JR平筑直方駅とは500m離れている

黒崎駅前駅〜西黒崎駅間の距離は0.2kmであり、松浦鉄道西九州線佐世保中央駅〜中佐世保駅間と並んで鉄道線としては日本最短の駅間距離ある。


関連タグ

西日本鉄道 北九州線 筑豊本線 平成筑豊鉄道


関連リンク

筑豊電気鉄道

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