プロフィール
生年月日 | 1977年1月3日 |
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身長 | 148cm |
血液型 | AB型 |
愛称 | まーちゃん、まいたんなど |
出身地 | 東京都 |
所属事務所 | 劇団若草(1980年 - 1993年)⇒八重垣事務所(1993年 - 2014年2月28日)⇒ケンユウオフィス(2014年3月1日 - 2017年8月31日)⇒アクロスエンタテインメント(2017年9月1日 - ) |
所属レーベル | パイオニアLDC(1997年 - 2001年)⇒徳間ジャパンコミュニケーションズ(2001年 - 2009年)⇒ランティス(2012年 - ) |
デビュー | 1981年(女優)、1991年(声優)、1997年(歌手) |
家族構成 | 祖母、父、母、妹 |
経歴
1980年に祖父の知人の紹介で劇団若草に入団し、翌年の1981年にテレビドラマ『春のうららの物語』で子役デビュー。父親の転勤で小学1年から5年間台湾で暮らし、その間は芸能活動を休止していた。日本に帰国した1987年から同劇団で芸能活動を再開。
1991年に映画『おもひでぽろぽろ』のツネ子役で声優デビュー。1995年に『耳をすませば』の絹子役で出演してからは次第に声優としての活動が中心になる。
1997年には、テレビアニメ『ポケットモンスター』シリーズの初代ヒロインであるカスミ役で同シリーズの主人公サトシ役の松本梨香と共に一躍有名になり、人気声優の仲間入りを果たす。当時は大学生で「大学4年間で芽が出なければ、この道はスッパリ諦めよう」と限りを設けており、その際にめぐり逢ったのがカスミ役であったという。
同年8月27日、パイオニアLDCよりアルバム『かたおもい』をリリースし、歌手デビューを果たす。更に10月からは自身初の冠番組である『週刊アニメージュ 飯塚雅弓のまだまだ日曜日だよ!』で本格的にラジオパーソナリティとしての活動を始めるなどして活躍の幅を広げる。
近年はステイラックの付属養成所であるFollow-Upで講師を務めるなど、後進の育成にも力を入れてる。
人物
- 趣味は料理、整理整頓、ラインストーンデコレーション。特技は笑顔、バトン、乗馬。好物はタバスコで、マイタバスコを持参しているほど。「タバスコなど辛い物のおかげで声帯が強くなったのかもしれない」と語った事もある。
- 駄洒落好きでもあり、自身のブログやTwitterで発言することも多い。
- 先述したように台湾に移住した経験からか中国語を話せるようで、かつては公式プロフィールに特技の一つとして中国語を挙げていた。2010年に中国で開催されたイベント『2010中国瀋陽第二回アニメゲーム博覧会』に出席した際には中国語でスピーチを行ったこともある。
- 小清水亜美と三瓶由布子と平田真菜は共に劇団若草に所属していた頃の後輩。中でも小清水は飯塚の活動に触発されて声優を目指し、尊敬する先輩として飯塚の名前を挙げている。その縁から、2006年に小清水が発売したアルバム『ナチュラル』の収録曲「dear friend」の作詞を担当している。また、女優の岩崎ひろみとは劇団若草時代からの幼馴染にして親友。
- 法政大学女子高等学校、法政大学法学部出身で、朝日放送アナウンサーの加藤明子は高校・大学時代の同級生にあたり、高校の時は同じバトン部に所属していた。同業者の青木瑠璃子は大学の後輩にあたる。
- 憧れている人物として同業者では日髙のり子を、女優では檀ふみを挙げている。
- 主に明朗活発で気丈な少女や女性を演じることが多いが、大人しい役、悪役、少年役、動物役も演じることもある。演じることには意欲的であり、元々『あかほり外道アワーらぶげ』に出演するにあたって、あかほりさとるが飯塚に何かやってみたい役があるかを尋ねたところ、「悪役をやりたい(学びたい)」と志願し、名字繋がりで飯塚昭三がその父親役として抜擢されたというエピソードがある。
- 歌手デビュー当初から自身の楽曲で作詞を手がけ、2004年からは星舞名義で作曲を行っている。この名義を使った理由について飯塚本人は、「作曲・飯塚雅弓として聴いてほしくなかったというか、他の作曲家の方達と並んで同じように聴いてもらって、どう感じてもらえるのか試してみたかったんです」と語っている。
主な出演作
アニメ
ゲーム
ドラマCD・デジタルコミック
フィーナ@イースI/女神の記憶 | 清水恵@屍鬼(VOMIC版) | -清水恵@屍鬼(VOMIC版) |
コンスタンス・マギー@魔術士オーフェン 無謀編 オリジナル・ラジオ・ドラマ | 麒麟@魍魎戦記MADARA 天使編「麒麟」 | |
その他
ポケモン☆サンデー(まゆみチーフとして不定期出演)
脚注
- *1 イラスト左の人物。
- *2 丹下桜の長期休業に伴う後任。
- *3 イラスト右の人物。