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ヒロポンの編集履歴

2023-09-23 11:12:31 バージョン

ヒロポン

ひろぽん

アンフェタミン系の向精神薬(覚醒剤)の一つ。住友ファーマの商標。

概要


「これはただのビタミン剤じゃ…」


「うそをつけ!」


大日本製薬(現:住友ファーマ)から市販されていたアンフェタミン系の向精神薬(精神刺激薬・覚醒剤)のひとつである。依存性薬物規制の直接の原因になった日本で最も有名な向精神薬の一つ。


現代でも(厳重な管理の下)ADHDナルコレプシー等の治療などの「限定的な医療・研究用途での使用」に厳しく制限され用いられている。日本においては覚せい剤取締法によって一般人への販売・使用・所持が禁止され、医療目的の使用でも院内処方のみ・都道府県知事への届け出が必要など極めて厳重な規制が行われている。


詳細

塩酸メタンフェタミン製剤。住友ファーマの商品名であるが、一番売れて有名になった当製品が『覚醒剤の代名詞』としても使われる場合がある。

類似品に「ホスピタン」(参天製薬)、「ゼドリン」(武田長兵衛商店(現:武田薬品工業)、アンフェタミン使用)など多数の商品があり、覚せい剤取締法施行までは合法の除倦覚醒剤として販売・使用されていた。


!て撃!れ送!れ造

※画像はイメージです


元は化学物質による風邪薬の開発中に生まれた副産物であり、これを研究者が有効活用の道を探った結果、肉体の疲労感を消失させたという事(もちろんこれは風邪を治したわけではなく、単なる興奮作用でしかないが…)から疲労回復薬として一般に流通させたのが最初だという。


副作用として口渇、落ち着きのなさ、血圧上昇、食欲不振、便秘、勃起障害などがすぐに現れる。長期間乱用するとさらに被害的な幻覚や妄想、意欲低下、脳萎縮など重大な症状が出現してくる。ダメ、ゼッタイ


歴史

メタンフェタミンが日本人によって合成されたこともあって、薬品として市販されたのも日本が最初だったと誤解されることが多いが、メタンフェタミンを市販薬として販売したのは欧米が先であり、かなり遅れて日本においても、欧米商品のコピー品を含めて(当時は薬品の知的財産権が確立されていなかったのでコピー品が横行していた)製薬各社が市販を開始した。『ヒロポン』もその中の一つであったが、後に最大シェアを獲得し、良くも悪くも『覚醒剤』の代名詞のようになってしまった。


『覚醒剤』は特に医薬品先進国ドイツにおいて普及しており、メタンフェタミン市販薬『ペルビチン』は労働者からスポーツ選手更にはダイエット目的の主婦まで愛用していた。またベルリンオリンピックでは、各国選手がアンフェタミン、メタンフェタミンの『覚醒剤』市販薬を服用して記録を伸ばしている(当然ながら当時はドーピングなどという概念はない)。


遅れて市販された日本においては、一般に流通する暇もなく太平洋戦争に突入してしまい、戦争下では主にその「疲労回復効果」や「覚醒効果」が重宝されて(無理やり例えれば今日の栄養ドリンク的な使用法)、『生産性の向上』を目的として、工場で工員に支給された。戦後の国会質問で厚生省(今の厚生労働省)の担当者が「特に疲労している労働者が使用するために製造を認可した」や「戦時中は錠剤での服用が主で注射での接取は殆どなかった」と回答しているが、その服用方法としては、お茶の粉末にヒロポンを混入して固めて「突撃錠」「猫目錠」として支給したなどの証言もある。


Luft la Luftwaffe'd

覚醒剤については、軍用として日本だけではなく参戦各国ともに積極的に使用しており、特に『覚醒剤先進国』のナチスドイツは、東部戦線では寒さ対策として陸軍兵士に『ペルビチン』を配り(いや、薬じゃなくて防寒具支給してやれよ・・・JK・・・)、バトル・オブ・ブリテンで、ルフトヴァッフェパイロットに眠気覚ましとしてメタンフェタミン入りチョコレートを支給している。ちなみにルフトヴァッフェパイロットの間では覚醒剤は夜間飛行の必需品扱いされて『パイロットの』などとも呼ばれていた。大戦初期のルフトヴァッフェの活躍には覚醒剤も大きく寄与していたと言っても過言ではないだろう。


日本軍でも、『夜間に視力が良くなるという理由』で夜間の歩哨にあるいは『集中力が増す』と言ってB-29の迎撃にあたる航空機搭乗員に支給されたりもしたが、実際には「夜間視力向上」という効果はなかった。

しかし、幸か不幸か医薬品生産力にも乏しい日本は、ナチスドイツのように手厚く?覚醒剤つまりヒロポンを兵士に支給することはできず、また、戦前、戦時中に一般的であった口からの摂取ではそれほど重篤な中毒になることもなく、社会問題とはならなかった。


それでも本土決戦用に日本軍は大量のヒロポンを備蓄していたが、使うこともなく終戦となった。なお、日本よりはるかに使用頻度が高かったナチスドイツでは、さすがに戦時中に薬物中毒が問題化しており、率先して覚醒剤を軍用利用していた保健相が戦後に自決している。


なお、近年になって、日本軍もナチスドイツに倣ってヒロポン入りチョコレートを製造していたとマスコミで報じられると、そのヒロポン入りチョコレートを特攻隊員に食わせて、死の恐怖を克服させて無理やり出撃させてたという主張も見られるようになったが《メタンフェタミン(ウィキペディアの記事)》によると、『陸軍航空技術研究所においては、他にも栄養剤やブドウ糖を混合したチョコレートも試作しており、「ヒロポン入りチョコレート」が広く支給されたとの記録はない』との事である。

そもそも覚醒剤中毒によるトリップ状態なんて、人それぞれで、その効果を管理、誘導することなどできるわけもないのに、日本軍の特攻隊員だけ軍の都合好く、全員が死の恐怖を乗り越えて特攻に出撃するなんて設定として無理があるだろう。

戦後になってから、数多く残された生き残った特攻隊員の回想でも、ヒロポンを飲まされたとかヒロポン入りチョコレートを食べさせられたという証言は殆どない。


センシティブな作品【艦これ】史実で艦これ48【漫画4枚+イラスト1枚】・・・・・

※画像はイメージです

いずれにしても、今日の我々が想像するよりはるかに使用に対してハードルが低い薬品であったことは確実である。


ちなみに「ヒロポン」の語源は俗に「疲労(『ひろ』う)を『ポン』と飛ばす」と言われているが、実際はギリシャ語"philoponus"(ヒロポノス=労働を愛する)が正しい語源である。


戦後

敗戦後に、GHQが旧日本軍から押収していたヒロポンを市場に開放したことによって、在庫が市場に一気に流入し、やがてアンプル一本が低級の焼酎一杯以下とも言われる激安価格で一般庶民でさえも近所の薬局で気軽に買えるほど流通した。

使用法としては、従来の「疲労回復効果」や「覚醒効果」に加えて、受験生が受験勉強の集中力を向上させるためなどにも使用したが、逆効果の場合も多かったという。

そのうち、戦後の混乱期で嗜好品が少ない中で、気軽に手に入るヒロポンをタバコ代わりの嗜好品として使用されるようになってしまった。

センシティブな作品

※画像はイメージです

この当時、庶民の日常に深く関わっていた例としてよく取り上げられるのは『サザエさん』の作者長谷川町子の作品『似たもの一家』にも登場したことであろう。『ヒロポン』というそのままズバリの題名の話に登場し、主人公の伊佐坂先生が所持していたヒロポンを、近所のトンダ家の子ども、カンイチとミヤコ(ワカメタラオに激似だけど一応別人)が誤って飲んでラリってる描写がある。


さらに戦前、戦中に一般的であった経口の服用ではなく、より効果の強い注射による接取が蔓延すると、薬物中毒(ポン中)となる者が激増し、日本社会全体に広範な薬物汚染を引き起こした。


また、薬物中毒者による犯罪、さらには薬物欲しさのための犯罪も激増して社会問題化することとなった。犯罪には殺人強盗強姦といった凶悪犯罪も多く、戦災孤児による少年犯罪の元凶ともなった。


これらが教訓となって1951年の覚せい剤取締法制定へと繋がり、制定以降のヒロポンはいわゆる違法薬物とされ、法による管理のもとに病院向けに販売されている。なお覚せい剤取締法施行後は注射剤のみとなり、本項メイン画像のように錠剤や内服液は製造されていない。


韓国でのヒロポン

当然のことながらヒロポン全盛期は当時日本国内であった朝鮮半島でも販売されていた。この為にヒロポンは現在の韓国でも「かつて合法であり現在は違法の覚醒剤」の代表格として扱われている。


ここから転じて韓国人でも「これはひどい」と思うほどの狂信的な愛国行為(主に反日行為)対して、韓国語で“国”を表す「ググ」とヒロポンをかけ合わせたググポンなる造語がある。


代表的な実在の服用者


上述のように戦後にその危険性が指摘され違法となったヒロポンだが、現代日本と同じ様な「覚醒剤=心身に重大な悪影響を与える非常に危険な薬物」という常識が世間に浸透するまでは時間がかかった。現代でもしばしば違法薬物に関する事件で世間を賑わす芸能界に至っては、1950~60年代は既にヒロポンが違法であったにもかかわらず愛好家、そして中毒者が当然のように居たという。

ビートたけしが自身の師匠である深見千三郎のほか、東八郎や由利徹をはじめ浅草芸人や幾つもの芸能人の実名を挙げてその中毒による奇行の数々をトークのネタにしているが、同時にたけしは中毒者になった先輩芸人の末路を多く目にしたこともあり、自身は決してヒロポンを始めとした薬物一切には手を出さないと述べている。他にも藤田まこと正司歌江など当時すでに一線で活躍していた役者や芸人たちが中毒体験を自伝等で告白しているくらいなので「実在の服用者」として有名人だけに限定したリストを作ろうにも多すぎて割愛せざるをえないほどである。


また先に触れたウィキペディアのメタンフェタミンの記事においては「旧日本軍における兵士へのヒロポン投与」として黒鳥四朗中尉および倉本十三飛曹長(6機撃墜のエースパイロットペア)のケースに触れられている。


代表的な架空の服用者

 ヤクザに騙されて打たれ、最後には仲間の金に手を出して共同生活をぶち壊してしまった。

 更生が描かれるはずの第二部がついに執筆されず、またムスビも非業の最期を遂げてしまったため、ヒロポンといえばムスビ、ムスビと言えばヒロポンジャンキーのイメージに…。

 ガン牌を使用する為に超人的な集中力を得る手段として使用、命を縮める事となった。

  • 伊佐坂先生、トンダミヤコ、トンダカンイチ(似たもの一家)

 上記の通り、執筆活動用のビン入り液体タイプを隣の家の子供のミヤコとカンイチが誤飲した。

 ※サザエさんにヒロポン誤飲ネタが登場したとするのは誤りである。伊佐坂先生の登場や、ミヤコとカンイチのデザインがそれぞれワカメ・タラオと同一であったことからの誤認だと思われる

 厳密にはヒロポンと呼ばれる前のメタンフェタミンだが、度重なる激戦の度に人体欠損を伴う重症を負い続けた彼の為に、当時軍で開発されたばかりのこれが提供され、薬の効果でシャキッとした元気な姿を見せていた。


その他の「ヒロポン」

覚醒剤の名前であることがよく知られているため現在では一般的ではないが、「ひろ」で始まる名前の人に対するニックネームとして使われることがある。有名所では元エンターブレインの広瀬栄一デスクが、かつて担当をしていた桜玉吉にこのあだ名で呼ばれており、この流れからこの当時を知る漫画家(須藤真澄など)にもこう呼ばれている。


また、人気バラエティ番組めちゃ²イケてるッ!の出演者である鈴木紗理奈は、当時共演者の一人だった三中元克から、生放送中に一人息子をこのあだ名で呼び間違えられる(そもそも鈴木の息子は「ひろ」の字すら入っていない「リオト」という名前である)という放送事故級に不謹慎極まりないイジリをされ、これが一因となって鈴木は、三中が番組に在籍していた間はもちろん、後年諸事情で降板した後も彼の事を許さず、非常に嫌悪していた。


近年はヒロポンのパッケージを模したジョークグッズ(過去には市販の栄養ドリンクをヒロポン風のパッケージにした「ヒロポン液」やマグカップ等、現在はキーホルダーやステッカーなど)が発売されているが(当然ながら非公式である)、2022年に大阪府で障害者の就労支援施設を運営する株式会社HEROから「ヒロポン酢」という名のポン酢が発売。名前の由来は社名であるHERO社のポン酢「ヒーローポン酢」の略称と歴史の項でも記された「ピロポノス」から取っており、パッケージもレトロブームに乗っかっただけでヒロポンと結び付ける意図はないそう。肝心の中身は酢を使用しない、天然果汁をふんだんに使った贅沢なポン酢で、商標登録もされている(登録6557466号)。


2023年には、この手の話題には事欠かない田代まさしをヒロポン酢のCMキャラクターに起用。田代自身当初こそオファーに難色を示していたが、HERO社の趣旨を理解し「誰かの手助けになれば」と出演に承諾。田代起用の効果もあってか品切れになる程のヒット商品となり、一時は生産が追い付かなかったほど。

ちなみに田代はそのCMギャラを薬物依存者の社会復帰を支援する団体等へ全額寄付している。


Pixivでは

戦時中を想起させる題材(近年よく使われる題材で言えば艦隊これくしょんなど)での活躍(?)が見られる。

覚醒剤ゆえに前述の「視力が良くなる」と同じ感覚で「感度が良くなる(性的な意味で)」としてR-18方面では媚薬のように扱われていることも


また概要にもある「ムスビうそをつけっ」をパロったシーンにも(手にしているのがヒロポン以外でも)タグが貼られることがある。


関連タグ

薬物中毒 覚醒剤

ちヒロポンモバマスにおける「課金中毒」)


参考外部リンク

向精神薬(ウィキペディアの記事)

アンフェタミン(ウィキペディアの記事)

メタンフェタミン(ウィキペディアの記事)

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