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皆川真次郎のコメント

みなかわしんじろうのコメント

皆川真次郎とは「アイスクリン強し」「若様組まいる」(畠中恵/講談社)の登場人物である。

コメント

編纂 2012-06-17 22:45:47
当方の長々しい屁理屈にお付き合い頂き多謝。以下の設問にに現時点でこれ以上の質問がなければ、以降の返信無用に。
みなせ 2012-06-17 22:14:02
重ね重ねありがとうございます。新説は出なくても良いけど、新作は出て欲しいと願っています。その時には、また追記されるのを、楽しみにしています。ありがとうございました。
編纂 2012-06-17 21:58:10
野性時代の記載は正しくは「時代が二年さかのぼり」であって、「明治21年の出来事」ではない。引用する際は正確を期されたい。また、たとえ大手雑誌社の出版物であっても記事を描いているのは雑誌記者であり作者ではない。「若様組まいる」の設定が明治20年である事の立証は、記事で記載した通り。ただし、作者自らの続編で何らかの新説が発表されれば変更はあり得る。
みなせ 2012-06-17 21:25:18
ご回答、ありがとうございます。はっきりしない点が多い物語なので、かかれた方の見解を知りたかったのでした。あともう一点(一度に書き込まなくて、申し訳ありません)、「小説野性時代」で、明治21年の出来事と記載されましたが、あれが実証されたら、この百科事典は訂正されるのですか?
編纂 2012-06-17 19:23:41
質問の意図が理解不能。あえて申し上げるならば、たとえ華族制度の施行が若君が産まれた2年後の明治2年だろうと実証出来ない(その時点では消息不明の側室が産んだであろうという憶測にすぎなかった)嫡子を届け出る事は不可能であったろうという事。誕生直後の未熟な政府でも、自称「産まれたかもしれないが今は行き方知れずの嫡子」では承認されないだろう。だからこそ生証人である(と誤解していた)真次郎を探っていた。相馬(と元松平家士族)らが真の若君の実態を知ったのは長瀬がp92でもたらした情報が初。此の事如何。
みなせ 2012-06-17 00:30:15
書いた方に質問。 相馬小弥太が、お家再興の為にご嫡子を探されてましたよね?彼が明治元年の生まれなら、既に嫡子がいる某松平家は、華族になるべく申し出る事も出来た筈だと思うのですが、華族制度は、明治2年からの始まりです。つじつまが合わないんですが、その辺りはどうお考えなのですか?
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