陸軍48師団
あいじぇーえーふぉーてぃーえいと
かつて大日本帝国陸軍に存在した師団
概要
当時日本国内だった台湾出身者で構成された大日本帝国陸軍の師団。
昭和19年の動員例まで狭義の「内地」(※1)である日本列島以外は徴兵の対象外であり、したがって構成員のほとんどは志願兵である。列島出身者からは大和民族以外の兵役志願者ということで義勇兵と呼ぶ場合もあった(※2)。
特に日本統治まで近代言語を持たなかった山岳地帯の部族(※3)出身者は精強な兵が多く、また亜熱帯での生活に慣れていたためマッカーサーの飛び石戦法が効かず(※4)、度々連合軍を奇襲しては苦しめた。
このような特徴を持っていたため太平洋戦争では迅速な揚陸能力を備えた洋上機動部隊として整備され、南方をマレー半島からニューギニアまで進出した。
とにかく兵糧攻めは効かない(※4)わ、弾薬尽きててもうっかり熱帯林に誘い込まれようもんなら後ろから短刀もって襲ってくるわ、飛行機で近づこうにも九二式重機や味方の遺棄品や敵の鹵獲品の機関砲を椰子の木に縛って応戦してくるわ(※5)で手に負えないため、最後はティモール島に立てこもったところを連合軍は華麗にスルーして終戦を迎えた。