概要
当時日本国内だった台湾出身者で構成された大日本帝国陸軍の師団。
昭和19年の動員例まで狭義の「内地」(※1)である日本列島以外は徴兵の対象外であり、したがって構成員のほとんどは志願兵である。列島出身者からは大和民族以外の兵役志願者ということで義勇兵と呼ぶ場合もあった(※2)。
特に日本統治まで近代言語を持たなかった山岳地帯の部族(※3)出身者は精強な兵が多く、また亜熱帯での生活に慣れていたためマッカーサーの飛び石戦法が効かず(※4)、度々連合軍を奇襲しては苦しめた。
このような特徴を持っていたため太平洋戦争では迅速な揚陸能力を備えた洋上機動部隊として整備され、南方をマレー半島からニューギニアまで進出した。
とにかく兵糧攻めは効かない(※4)わ、弾薬尽きててもうっかり熱帯林に誘い込まれようもんなら後ろから短刀もって襲ってくるわ、飛行機で近づこうにも九二式重機や味方の遺棄品や敵の鹵獲品の機関砲を椰子の木に縛って応戦してくるわ(※5)で手に負えないため、最後はティモール島に立てこもったところを連合軍は華麗にスルーして終戦を迎えた。
脚注
- ※1:当時、ふつう「内地」というと台湾や朝鮮も含まれた。
- ※2:実際には当時は台湾は日本国内なので、国際法上は義勇兵(外国人部隊)にはならない。
- ※3:当時の日本では一般的に高砂族と呼称した。
- ※4:亜熱帯の生活に慣れていたため、熱帯雨林で何が食用に出来るのか理解していた。このため補給を切っても飢えによって投降したり無力化したりすることがまったく期待できなかった。
- ※5:どんな方法をやったのかは宮崎駿の『雑想ノート』、『最貧戦線』で描かれている(ただし作品そのものはフィクションである)。
意外な関係
この陸軍洋上機動部隊である第48師団の護衛隊に軽巡洋艦 那珂が2度参加している。
『艦隊これくしょん』では艦船図鑑番号No.48があの自称アイドルの番号である。
そして48といえばあの数字でもある……
さしずめIJA48(Inperial Japan Aemy)といったところか。なんて言ったら台湾の人怒るかな……