原型機F-80と同じく「シューティング・スター」(流星)と呼ばれることもあるが、パイロット(とくにこの機で教習を受けた者)には「T・バード」と呼ばれて親しまれている。
ジェット練習機の必要性
第二次世界大戦終結後、時代はジェット戦闘機へと切り替わろうとしていた。
もちろんジェット戦闘機はそれまでの戦闘機(レシプロ戦闘機)とはまったく違う操作を習得しなければならず、新たに『ジェット練習機』が必要とされた。
そこで白羽の矢が立ったのが、ロッキードF-80「シューティング・スター」である。
この機は当時としても操縦性が良く、複座に改造して練習機にするにはぴったりだったのだ。
F-80の胴体を延長してもう一人分の席を確保し、こうしてロングセラーの歴史は始まっていくのである。
T・バードのあゆみ
1948年から生産が始まり、1959年に終了するまでに6557機が生産された。(カナダ生産分を含む)
のちにエンジンをアフターバーナー装備のJ-33に換装したF-94「スターファイア」にも発展し、12.7mm機銃やロケット弾を武装とした防空戦闘機として活躍した。
T-33自身も機首に偵察カメラを装備したRT-33、
主翼にパイロン(2箇所)を追加して軽攻撃機としたAT-33にも発展している。
このAT-33はボリビアで長く戦闘機として活躍しており、少なくとも2007年までは現役のようだ。
国内でも装備品実験機のNT-33や改造無人標的機QT-33が用いられ、重要な役割を果たした。
日本(航空自衛隊)のT・バード
1999年11月22日に入間基地所属の機が墜落事故を起こし、2002年退役の計画は前倒しされることになった。
当時残存していた8機は即飛行停止が下されて翌2000年、解除されないまま除籍(退役)された。