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T-33の編集履歴

2014-04-02 19:12:37 バージョン

T-33

てぃーさんさん

アメリカ空軍初めての制式ジェット戦闘機、F-80を複座練習機としたもの。T-33はF-80ゆずりの高い操縦性が特徴で、世界中で多くのパイロットがこの機で教習を受けた。現在はほとんどが退役したが、現役で飛び続ける機もわずかながら存在し、民間に払い下げられた機体は今なお飛び続けている。

原型機F-80と同じく「シューティング・スター」(流星)と呼ばれることもあるが、パイロット(とくにこの機で教習を受けた者)には「T・バード」と呼ばれて親しまれている。


ジェット練習機の必要性

第二次世界大戦終結後、時代はジェット戦闘機へと切り替わろうとしていた。

もちろんジェット戦闘機はそれまでの戦闘機(レシプロ戦闘機)とはまったく違う操作を習得しなければならず、新たに『ジェット練習機』が必要とされた。


そこで白羽の矢が立ったのが、ロッキードF-80「シューティング・スター」である。

この機は当時としても操縦性が良く、複座に改造して練習機にするにはぴったりだったのだ。

F-80の胴体を延長してもう一人分の席を確保し、こうしてロングセラーの歴史は始まっていくのである。


T・バードのあゆみ

1948年から生産が始まり、1959年に終了するまでに6557機が生産された。(カナダ生産分を含む)

のちにエンジンをアフターバーナー装備のJ-33に換装したF-94「スターファイア」にも発展し、12.7mm機銃やロケット弾を武装とした防空戦闘機として活躍した。


T-33自身も機首に偵察カメラを装備したRT-33、

主翼にパイロン(2箇所)を追加して軽攻撃機としたAT-33にも発展している。

このAT-33はボリビアで長く戦闘機として活躍しており、少なくとも2007年までは現役のようだ。


国内でも装備品実験機のNT-33や改造無人標的機QT-33が用いられ、重要な役割を果たした。


日本(航空自衛隊)のT・バード

1999年11月22日に入間基地所属の機が墜落事故を起こし、2002年退役の計画は前倒しされることになった。

当時残存していた8機は即飛行停止が下されて翌2000年、解除されないまま除籍(退役)された。

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