ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

東京裁判の編集履歴

2014-05-08 19:50:21 バージョン

東京裁判

とうきょうさいばん

終戦後に連合国が日本を裁くために東京で行われた裁判。

概要

極東国際軍事裁判とも言う。

第二次世界大戦に勝利した連合国側が1946年から1947年にかけて、戦前・戦中の日本の指導者たちを“戦争犯罪人”として弾劾した裁判である。


しかしこの裁判は、国際法上のどの規定にも一切根拠が無く、さらには裁く側の判事や検察官が全て戦勝国から派遣されていたことなど、裁判が行われた当時から連合国側の専門家の間でさえ、その正当性を疑う声も少なくなかった(唯一の国際法専門家であった、インド代表で参加したラダ・ビノード・パール博士は、国内手続きのミスにより代表に選ばれたため、連合国側の息がかかっていなかった)


この裁判では東條英機元首相以下、“いわゆるA級戦犯”とされた28名が、「平和に対する罪」「人道に対する罪」で訴求されているが、当時のどの国際条約にもそのような罪は存在しておらず、事後法(裁く時には存在しなかった法律を、過去に遡って使用して罰すること。これは近代法の概念全てを否定することに繋がるため、どの国でもタブーとされている)によって行われたことであった。


しかもこの裁判において、広島長崎原爆を投下し、罪無き民間人を大虐殺した連合国側の指揮官は、誰一人として訴追されていない。


一部ではこの裁判のことを“復讐劇”や“リンチ”と表現する人物も多い。


関連タグ

第二次世界大戦 ラダ・ビノード・パール

日本無罪論

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました