「悪」である左大臣の意味。
中世における「悪」
中世における「悪」は現代とニュアンスが異なるので注意が必要。秩序に敵対し秩序を破壊する者という意味だけでなく、慣習よりも理論を尊重するという意味、性質や能力があまりに優れていることを恐れた表現でもある。
例えば鎌倉時代に活躍した「悪党」とは、鎌倉幕府に従わない賊という意味と
人並み外れて強い者という意味がある。それゆえ楠木正成や名和長年等は悪党と考えられたのだ。また源義平が「悪源太」と呼ばれたのもその恐るべき武勇故である。貴族社会の秩序を破壊し、理論派であり、学識に優れた頼長は悪左府の異名にふさわしいと言える。
ただし頼長については、「腹黒く、よろずにきわどき人」と呼ばれ、苛烈で他人に厳しい性格、男色家でしかもそれを出世に利用したりもしているところから、現代的な悪の解釈をしてもやっぱり「悪左府」であろう。