1977年5月30日生まれ A型 兵庫県出身
183cm 85kg
阪神大震災が発生した1995年の甲子園兵庫県代表・神港学園神港高等学校の主将として選手宣誓を行い、準々決勝では現チームメイトの藤井秀悟を擁する今治西と対戦し、タイムリーを放つなど活躍するも敗退。
1995年のドラフト会議において、横浜ベイスターズから5巡目に指名され、入団。
2007年シーズン中、横浜ベイスターズから読売ジャイアンツに移籍。
2011年にオフに横浜DeNAベイスターズにFAで復帰。
2014年1月、久保康友が国内FA権の行使をしDeNAへ移籍したことに対する人的補償措置として、阪神タイガースへ入団し、故郷の兵庫へ戻ることとなった。
明るく強気な性格のムードメーカー。
後輩へ叱咤する姿を見せることがあるが、マスコミの前では口が硬いようだ。
集合写真を撮ると何故かよく変顔を見せる。
2013年8月24日には対読売ジャイアンツ19回戦、8回裏に山口鉄也から1打席19球を投げさせる粘りを見せた。※プロ野球タイ記録史上3人目。
打撃好調時にはファンから「謎の長打力」と言われたり、しばしば「ツーベースおじさん」と呼ばれることも。