隠居するまで
1542年、小早川正平の長男として誕生する。
1543年、父の正平が月山富田城の戦いで戦死した為、僅か2歳で家督を継いだ。ところが3歳の時に失明してしまい家中の混乱を招く。実は繁平本人は誕生時から病弱であった。
大内義隆は病弱かつ盲目である繁平では尼子の侵攻を防ぐことはできないと判断。1550年、義隆と毛利元就は介入して、繁平が尼子家と内通したとして、居城の高山城から追放してその身柄を拘禁した。
家臣・田坂全慶らは反発するが逆に誅殺された。そして義隆は竹原小早川氏を継いでいた元就の三男の小早川隆景を繁平の妹(問田大方)と結婚させた上で、1551年に沼田小早川氏の家督を継がせて両小早川家は統一。だが2人の間には子供が出来なかった為、桓武平氏流小早川本家の血筋は途絶えることになった。
出家
その後、繁平は元就の計らいで剃髪して禅に帰依して教真寺に入って余生を過ごす。1574年に33歳で病死した。(問田大方は1619年に死去している。)