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一式砲戦車の編集履歴

2015-02-09 20:08:40 バージョン

一式砲戦車

いちしきほうせんしゃ

一式砲戦車は、大日本帝国陸軍が装備した車両。 制式名称は一式七糎半自走砲。

解説

名称について

 この車は陸軍の中の戦車部隊と砲兵部隊の二つの兵科に配備され、前者では一式砲戦車、後者では一式自走砲または一式七糎半自走砲と呼ばれる。しかし一次史料上では後者の呼称で表記されることがほとんどで「一式砲戦車」という呼称は用兵側の通称または資料をまとめる際に他の車両との混同の可能性も高い。(二式砲戦車は、試製一式砲戦車とも呼ばれていた。)


本車の作り

 一式砲戦車は九七式中戦車の車体に直接九◯式野砲を搭載したもので、オープントップの簡単な戦闘室(装甲板の囲い)を持ち、搭載される九◯式野砲は対戦車兵器ではないが装甲貫徹力が比較的に高く、特に大戦中期にM4シャーマンが登場すると日本軍の対戦車兵器では対処困難になったため有力な対戦車砲として活用された。そのためこの砲を主砲としたこの車両はのちに対戦車用途に転用され防盾もチハの最大装甲厚の二倍になった。(後述)。


この車両は何なのか

欧米諸国が既存の野砲を自走化し効率と火力を増そうと研究・開発を開始したため日本もこれに倣い

開発研究されたのが本車両である。本車両はあくまでも野戦砲を自走化しただけであり、対戦車戦闘は二の次であり、照準器も曲射用のままであり移動目標用の照準器は付いていなかった。

本車の開発はノモンハン事件の直後に始まっており、二年後の1941年半ばには開発が完了した。しかし航空機重点主義や既存の機甲兵器の生産に追われたため生産が始まったのは1943年末だった。(M4シャーマンが太平洋戦線に現れ始めたのもこの頃)。


主砲の九〇式野砲が対戦車戦闘において安価な対戦車砲になりえることが分かると本砲を搭載したこの車両は戦闘室正面装甲厚の50ミリはチハの二倍(一式中戦車と同等)に増厚され、当初のような歩兵支援用ではなく対戦車戦を意識したものに改良された。

主砲は一式徹甲弾をした場合1000mの距離で厚さ70㎜弱の装甲板を、500mでは約80㎜の装甲板を100mでは約90㎜の装甲板を貫通できた。

これはM4を正面から撃破するにしては不十分な物でした。が実戦では500m前後の距離でM4を正面から撃破したという報告例があり本車両を鹵獲した米軍からも「あらゆる連合減車両を撃破しうる兵器である。」という高評価をもらっている。

(実は本車の貫通性能では、500mでのM4の正面貫通は不可能に近くM4の型式の中でも対弾性能が劣るタイプの車両が相手だったのが原因だったか事実誤認ともいわれ、他にも車体下部の垂直部に命中した、起伏に乗り上げ傾斜が減少していたなど様々な説がある。)


活動

 量産車が出始めるとすぐに本車は前線へ送られたものの、片ッ端から輸送船が撃沈されたためほとんど戦地に届きませんでした。しかしそれでもなんとかフィリピンに届いた四両が大いに活躍しています。


結局は全滅してしまったものの、一式砲戦車は友軍と連携し敵の陣地や車列を攻撃しまくり、輸送トラックを多数、M4戦車を複数破壊しました。


この他に目立った戦果は無く、フィリピンでの戦いが本車のほとんど唯一の活躍と思われます。


つまるところ

 一式砲戦車は恐怖のM4シャーマンに対して(わりと)積極的に機動して攻撃できる、たいへん心強い車両であったでしょう。米軍の本車に対する評価も高いです。


派生車両

一式十糎自走砲

九〇式野砲の代わりに九一式十糎榴弾砲を搭載した車両。実戦参加は無し。

歩兵支援用だが主砲の九一式十糎榴弾砲はM4シャーマンとの戦闘においても実績あり。

また成形炸薬弾も用意されており、命中すれば距離に関わらず120㎜の垂直装甲板を貫通可。


三式砲戦車

一式砲戦車の密閉戦闘室版。砲戦車甲とも呼ばれ一式砲戦車こと一式七糎半自走砲を対戦車戦の中核をこなせるよう改修した物。

固定戦闘室でもいいからと三式中戦車の代用ともいえる車両で、一式砲戦車とは違い四式十五糎自走砲のように最初から対戦車戦闘を想定した対戦車自走砲である。戦闘室は旋回砲塔風だが前述のとおり固定式なので絶対に回らない。

実戦参加は無し。

関連タグ

戦車 自走砲 突撃砲 駆逐戦車

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