長崎県を放送対象地域とするテレビ局。略称KTNフジテレビ系列で1969年4月1日に開局した。
放送局概略
ニュース系列 | FNN |
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番組供給系列 | FNS |
略称・愛称 | KTN |
コールサイン | JOWH-DTV |
呼出名称 | テレビながさきデジタルテレビジョン |
親局 | 長崎20ch(稲佐山) |
リモコンキーID | 8 |
歴史
開局まで
1962年4月、当時の衆議院議員である金子岩三によって設立された「株式会社テレビ長崎」が、親局VHF仕様で郵政省にテレビ局の開設申請書を提出したことが、長崎県における民放テレビ複数化の始まりである。しかしこの申請は通らなかった。その後1963年から1965年までの間に6社が申請し競願となっていった。
この時申請を出したのは以下の6社である。
社名 | 資本系列 | 申請者 |
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株式会社テレビ長崎 | 西日本新聞 | 金子岩三・野口義夫(西日本新聞社長) |
テレビ長崎株式会社 | 関西テレビ | 松原与三松日立造船会長・肥塚喜久雄(丁字屋釀造社長) |
西海テレビ株式会社 | 毎日新聞・地元有志 | 小林知一(毎日新聞出身、北松江迎製塩社長)・木谷勝次(県医師会会長) |
長崎読売テレビ放送株式会社 | 読売新聞 | 務台光雄(読売新聞社長)・小山晴彦(弁護士) |
株式会社西海テレビ | 農協 | 眞崎今一郎(長崎県農協中央会長)・才津新造(五島商船会長) |
西九州テレビ放送株式会社 | 地元財界 | 一ノ瀬秀人(長崎県副知事)・清島省三(十八銀行頭取)・坂田重保(親和銀行頭取) |
1967年9月、当時の郵政省は長崎県を含む全国17地区にUHFを利用した親局設置の方針を固めたことでUHF親局の認可の方針が見えはじめ、競願6社は1967年11月に「株式会社テレビ長崎」へ申請を1本化。しかし資本構成では西日本新聞・関西テレビ系と読売新聞・長崎新聞・農協系に二分されていた。
開局後
開局時は日本テレビ系とフジテレビ系のクロスネット体制としていたが、長崎国際テレビの開局に備えて1990年10月1日を以って日本テレビ系列を離れ、フジテレビ系単独ネットとなった。
しかし長崎国際テレビの開局が半年遅れたためにそれいけ!アンパンマンなど一部の番組はKTNで引き続きネットされていた。
なおこのクロスネットと開局時の資本構成の名残から現在も読売新聞大阪本社が主要な株主として名を連ねている。