概要
本社がある福岡県を中心に、佐賀県・長崎県・大分県・熊本県の北部・中部九州5県で販売されているが、福岡県以外ではそれぞれの地域の県紙に販売数で圧倒されてしまっている。過去には山口県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県でも販売されていたが、山口県では中国新聞とエリアが競合するために2009年3月31日をもって発行打ち切り、沖縄県でも同じ日をもって発行を打ち切った。宮崎県や鹿児島県では地元紙やほかの全国紙よりも発行数が少なく、2010年から宮崎・鹿児島両県版を統合した「南九州ワイド版」を発行したが、2018年3月31日をもって西日本スポーツとともに発行を打ち切った。
他のメディアとの関係
九州のフジテレビ系列各局と結び付きが強く、テレビ・ラジオ欄ではフジテレビ系列局が最初に掲載されている。産経新聞は、かつては九州総局・本部のデスクを西日本新聞会館内に置いていた。2009年9月30日まで、九州エリアの「西日本新聞エリアセンター(AC)」で産経新聞を取り扱っていた(山口県内は先述の通り2009年3月31日の撤退まで)。同年10月1日から産経新聞の印刷を毎日新聞西部本社・鳥栖工場が行い、福岡都市圏と久留米市の西日本ACで扱うほか、それ以外の九州・山口エリアでは毎日新聞の販売所で扱っている。2018年以降は佐賀市の一部の西日本ACでも産経新聞を取り扱っている。
歴史
そのルーツは1877年に創刊された「筑紫新聞」。それが1年半で廃刊に追い込まれたことから、その筑紫新聞に関わっていた人物が仕切り直しという形で「めさまし新聞」を立ち上げた。その「めさまし新聞」が「筑紫新報」を経て、1880年に「福岡日日新聞」となった。1942年、福岡日日新聞が日本軍からの一県一紙令により、当時福岡県のもう一つの新聞であった九州日報を吸収合併する形で西日本新聞となった。
1950年のシーズンだけだが、プロ野球球団西日本パイレーツを経営していた。
ライバル紙
西日本新聞の直系の前身である福岡日日新聞が吸収合併した九州日報は、実は読売新聞の傘下だった。新聞統制で消滅後、西日本新聞と読売新聞は報道提携を結んだ。ところが、当時の読売本社(現在の読売新聞東京本社)会長・正力松太郎が当時の大阪讀賣新聞社(現在の読売新聞大阪本社)社長・務臺光雄に九州進出を命じ、それが実現したため、西日本新聞はこれに反発、その意向で1964年7月にテレビ西日本が日本テレビ系列からフジテレビ系列にネットチェンジするに至った。そのあおりを受け、これまでフジテレビ系列とNET(現在のテレビ朝日)系列のテレビ局だった九州朝日放送が九州におけるNETフルネット局第一号となり、取り残されたRKB毎日放送も反発した。
福岡県で1番読まれているのはこの西日本新聞だが、2番目は読売新聞であり、実質この2紙がしのぎを削っている状況である。
西日本スポーツ
1955年2月に創刊された。略して「西スポ」。
元々西日本新聞はデイリースポーツを扱っていたが、西日本パイレーツの経営問題で読売新聞と巨人軍ににひどく扱われたことで、西日本新聞の首脳陣が「西鉄ライオンズを中心とした新聞を売ろう」という計画を立てたことから西日本スポーツが誕生した。
西鉄(→太平洋クラブ→クラウンライター)ライオンズと共に歩んだ西スポだったが、ライオンズが福岡を去ってからは、プロ野球とは距離を置くようになる。それが解消されたのは、福岡にプロ野球球団が「戻って」来てからである。それが現在の福岡ソフトバンクホークスである。2006年からはホークス情報を1面から3面まで充実させている。
中央競馬関連記事は中日スポーツから、ホークス以外のプロ野球面、北部九州地区以外のスポーツ情報は中日新聞東京本社(東京中日スポーツ)から、芸能・社会面はデイリースポーツから、それぞれ記事と紙面を提供されている。中央競馬関連記事に関しては2013年4月1日付までサンケイスポーツが製作していた。
中日スポーツ・東京中日スポーツ・デイリースポーツなど、ブロック紙・地方紙系スポーツ紙との連携を強めている。
稲尾和久の代名詞「神様、仏様、稲尾様」の生みの親でもある。
2022年9月6日、2023年3月31日付け限りで紙媒体での発行を終了、公式サイトのみ運営する方式に切り替える事を明らかにした。
外部リンク
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新竹取物語1000年女王:1980年1月28日から1983年5月11日まで西日本スポーツに連載。