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テレビ長崎の編集履歴

2015-03-11 09:26:45 バージョン

テレビ長崎

てれびながさき

長崎県を放送エリアとするテレビ局

概要

長崎県を放送対象地域とするテレビ局。略称KTNフジテレビ系列で1969年4月1日に開局した。

放送局概略

ニュース系列FNN
番組供給系列FNS
略称・愛称KTN
コールサインJOWH-DTV
呼出名称テレビながさきデジタルテレビジョン
親局長崎20ch(稲佐山)
リモコンキーID8

歴史

開局まで

1962年4月、当時の衆議院議員である金子岩三によって設立された「株式会社テレビ長崎」が、親局VHF仕様で郵政省にテレビ局の開設申請書を提出したことが、長崎県における民放テレビ複数化の始まりである。しかしこの申請は通らなかった。その後1963年から1965年までの間に6社が申請し競願となっていった。

この時申請を出したのは以下の6社である。

社名資本系列申請者
株式会社テレビ長崎西日本新聞金子岩三・野口義夫(西日本新聞社長)
テレビ長崎株式会社関西テレビ松原与三松日立造船会長・肥塚喜久雄(丁字屋釀造社長)
西海テレビ株式会社毎日新聞・地元有志小林知一(毎日新聞出身、北松江迎製塩社長)・木谷勝次(県医師会会長)
長崎読売テレビ放送株式会社読売新聞務台光雄(読売新聞社長)・小山晴彦(弁護士)
株式会社西海テレビ農協眞崎今一郎(長崎県農協中央会長)・才津新造(五島商船会長)
西九州テレビ放送株式会社地元財界一ノ瀬秀人(長崎県副知事)・清島省三(十八銀行頭取)・坂田重保(親和銀行頭取)

1967年9月、当時の郵政省長崎県を含む全国17地区にUHFを利用した親局設置の方針を固めたことでUHF親局の認可の方針が見えはじめ、競願6社は1967年11月に「株式会社テレビ長崎」へ申請を1本化。しかし資本構成では西日本新聞・関西テレビ系と読売新聞・長崎新聞・農協系に二分されていた。

開局後

こうした資本上の「対立」もあってか、開局時はフジテレビ系列および日本テレビ系列とのクロスネット体制を取っていた。

だが、長崎国際テレビの開局に備えて1990年10月1日を以って日本テレビ系列を離れ、フジテレビ系列単独ネットとなった。ところが、長崎国際テレビの開局が半年遅れたために「それいけ!アンパンマン」や「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」など一部の番組は当局で引き続き放送を請け負った。

なおこの開局時の資本構成とクロスネットの名残から現在も読売新聞大阪本社が主要な株主として名を連ねている。


アニメ事情

先述のように、1990年9月まではフジテレビ系列と日本テレビ系列とのクロスネットだっただけに、アニメの放送にも影を落としていた。例えば、水曜夜(1981年3月から1988年3月まで)の「うる星やつら」→「めぞん一刻」→「F」は30分前倒しで放送、そのあおりを受け「Dr.スランプアラレちゃん」→「ドラゴンボール」シリーズは放送日時差し替えを余儀なくされた。さらに、「ドラゴンボール」シリーズの放送日時差し替えは、日本テレビ系列から足を洗うまで続いた。


ノイタミナに関しては、2008年3月の「のだめカンタービレ(第1シリーズ)」終了後も引き続きネットしたものの、2010年5月に終了した「のだめカンタービレ フィナーレ」終了をもって放送を打ち切ってしまった。以後、2012年4月から7月にかけて「坂道のアポロン」を放送したものの、該当作は長崎県を笑いものにした作品であるが故の「超法規的措置」として放送したものだった。


ネタ

平日正午台に、日テレのバラエティ番組「お昼のワイドショー」を垂れ流されたばっかりに、本来放送されるはずだった「笑っていいとも!」は、平日夕方(4時台→)5時台への差し替えを余儀なくされた。そのため、「夕やけニャンニャン」(夕ニャン)とか言うバラエティ番組のネットを断念した。結果、商売敵の局アナから、「おニャン子の知名度が長崎で今ひとつだったのは、あいつ(つまり本局)が『夕ニャン』やらなかったからなー」とイヤミを言われたことがある。なお、フジテレビ系列でありながら、秋田テレビ石川テレビテレビ山口も、「夕ニャン」をネットしていない。

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