概要
背景
第二次世界大戦初期にイギリス軍への供与が行われ北アフリカ戦線に投入された M2軽戦車、M3軽戦車の両軽戦車の戦訓を検討した米軍は、将来の軽戦車には強力な火力と厚い装甲が必要となるであろうと結論を出し、75mm戦車砲を搭載する新型軽戦車の研究を開始した。
T7軽戦車の開発から
1941年後半から57mm砲を搭載するT7軽戦車試作車も開発されていたが、これは重量が当初の目論見より倍近く増加してしまった、後にM7中戦車として制式化されたが中途半端な出来となってしまい実戦にも参加しなかった。この失敗を元にキャデラック社と陸軍はM7中戦車の車体レイアウトと、M5軽戦車の操行装置とエンジンを用いた新たな軽戦車としてT24軽戦車の開発を始めた。
T24軽戦車の開発
艦船攻撃用として爆撃機であるB-25Gに搭載されていた75mm砲(T13E1、制式化後はM6と呼ばれる)を主砲に採用し、重量増加を防ぐため装甲は厚くせず、かわりに避弾径始を高めたデザインの外装が採用されている。 また米国軽戦車として初めてサスペンションにトーションバーが使用された。1943年10月に完成した試作車(試作車完成に先立ち同年7月にM24軽戦車として制式採用されている)の試験結果は良好だったので早速1000両(後に5000両まで増加した。 最終的に生産されたのは4070両)の生産契約が締結されている。
実戦
大戦末期のヨーロッパ戦線 (フランスやイタリア)に投入され、軽戦車大隊や機械化騎兵偵察大隊の主力戦車として任務に従事した。また英国へも少数が供与されており、英軍は米国機甲部隊の創設者であるA・R・チャーフィー大将の名を取って「チャーフィー」軽戦車と呼んでいた。
朝鮮戦争においてT-34/85を相手に苦戦を強いられ、第二次世界大戦後に開発が始まった戦後型軽戦車のM41軽戦車にその座を譲ることになる。またフランス軍に供与された車輌は分解されてベトナムに空輸され、ディエンビエンフーの戦いでベトミンと戦った。