概要
誕生
1571年のレパントの海戦においてはカトリック国連合軍がガレアス船に搭載してオスマン帝国艦隊を撃破した。
帆船時代における艦載砲は主にカノン砲で、船の中でも扱いやすいように砲車が改良されている。このころの火砲は炸薬のない実体弾であり、艦砲の威力はさして大きくなく、船体を破壊して敵艦を撃沈することよりは、設備の破壊や人員の殺傷によって航行能力を奪うことを目的としていた。そのためこの時代の艦砲は数を多数搭載する事が優先され、比較的小型の砲が搭載された。またマストや索具を切断するための鎖弾など、特徴的な砲弾を使用した。後にカロネード砲が導入され、接近しての片舷斉射において大きな威力を発揮した。また、ボムケッチのように対地攻撃のために臼砲を搭載した艦もあった。なおボムケッチの臼砲で使用されたのは榴弾である。
進化する艦砲
艦砲の技術が発達し、威力が増すと、艦砲の威力で敵艦を撃沈する事も可能になった。このような状況で、舷側に穴を開けて多数の艦砲を並べる事は、むしろ弱点を晒す事となった。そのため艦砲の数を減らし、一門あたりの威力を高める方向へと変化した。数を減らした艦砲を有効に用いるため、これを装甲で守られた回転砲塔に納め、甲板上に設置し、防御力を高めるとともに射角を大きくした。その結果、艦砲の大口径化が進み、大艦巨砲主義が到来した。
大艦巨砲主義の極致のひとつである戦艦大和の主砲は、口径46cm、砲弾重量1,460kg、最大飛距離42kmに達していた。砲弾は装甲を貫通できるように徹甲弾が主体となった。艦砲の巨大化に伴い砲弾が巨大化、それを給弾するために砲塔の下部はエレベータで給弾を行う設備となった。また、第一次世界大戦後には対航空機戦闘のために高角砲の搭載が一般的になった。
第二次世界大戦以降の艦砲
第二次世界大戦後、航空機の発達によって戦艦はその活躍の場を失われ、巨大な艦砲が作られることは無くなった。さらに、ミサイルの発展により戦艦以外の艦載砲も廃されるようになり、ミサイル万能論が全盛の頃に作られたアメリカのミサイル巡洋艦「ロングビーチ」は、完成当初艦砲を一切有していなかった。しかしミサイルと比べて1発あたりのコストの面で優れる艦砲は、コンピューター制御による精度の向上と速射性を付与されて、小口径のものが近距離戦に限り現在も広く用いられている。近年ではロケット推進によって射程を延長された地上攻撃用の誘導砲弾も開発されている。