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清波(駆逐艦)の編集履歴

2015-06-09 20:31:05 バージョン

清波(駆逐艦)

きよなみ

大日本帝国海軍の駆逐艦の一つ。1943年7月20日、駆逐艦「夕暮」救援中に撃沈され、2隻とも全乗組員が戦死した。

概要

夕雲型駆逐艦の8番艦。

1939年度のマル4計画において、仮称第123号艦として浦賀船渠で建造された。その後1942年6月20日、夕雲型7番艦に「大波」、本艦に「清波」の艦名が与えられた。同日附で「大波、清波」は夕雲型駆逐艦に類別され、清波は1943年1月25日に竣工された。正式に舞鶴鎮守府籍となり、警備駆逐艦に指定された。


同年2月27日、清波は駆逐艦「海風」とともに特設巡洋艦「盤谷丸」および「西貢丸」を護衛して横須賀を出港し、トラック諸島に向かい、3月8日にトラックに到着した。一緒に護衛する艦艇が白露型の海風から姉妹艦である大波に代わり、3月12日にトラックを出港してタラワに向かった。3月20日、大波、清波、盤谷丸、西貢丸はタラワを出発し、大波と別れた清波はクェゼリン環礁に回航され、輸送船「天城山丸」の護衛をまかされた。「清波、天城山丸」は同地を3月22日に出港し、3月25日にトラックに帰投した。26日、靖国丸の護衛に出向き、27日トラック帰投した。4月9日、「大波、清波」は内南洋部隊に編入。その後も5月10日までの間、第四根拠地隊および第二海上護衛隊の指揮下にてトラックとラバウル、カビエン方面との船団護衛に従事した。この間、同じ姉妹艦の「長波」は横須賀に回航され北方部隊に編入、キスカ島撤退作戦に従事することになった。


コロンバンガラ島沖海戦での活躍

1943年7月12日にコロンバンガラ島への輸送作戦の途中で生起したコロンバンガラ島沖海戦では、第二水雷戦隊旗艦「神通」が第36.1任務群のアメリカ・ニュージーランド巡洋艦部隊の集中砲火によって沈没するが、残された駆逐艦は二度の雷撃でアメリカ軽巡洋艦「ホノルル」 と「セントルイス」およびニュージーランド軽巡洋艦「リアンダー」に損傷を与え、アメリカ駆逐艦「グウィン」を撃沈した。神通の沈没により第二水雷戦隊は全滅し、組織的にも大ダメージを受けた。そこで第四水雷戦隊を解隊し、同隊司令部および戦力を第二水雷戦隊残存兵力と統合した。


コロンバンガラ島沖海戦およびクラ湾夜戦では、輸送部隊は巡洋艦部隊に遭遇して戦闘を行ったため、主目的である輸送作戦を完遂できなかった。また日本軍は大きな損害を受けたが、それ以上に米軍に大打撃を与えたと判断し、再び敵水上艦艇の撃滅と輸送作戦の実施を企図した。 7月16日、第三水雷戦隊司令官が率いる水雷戦隊の区分は(軽巡「川内」《三水戦旗艦》、第1小隊《16駆司令(雪風):雪風、浜風、清波、夕暮》、第2小隊《22駆司令(皐月):皐月、水無月》)・輸送隊(30駆司令:三日月、夕凪、松風)となる。16日夜、夜戦部隊主隊(熊野、鈴谷)および水雷戦隊(川内、雪風、浜風、夕暮、清波)はラバウルを出撃するが、ブイン大規模空襲により駆逐艦「初雪」が沈没、「皐月、水無月」が小破したことで作戦中止となった。

ブカ島北方で反転し、17日夕刻ラバウルに戻った。 18日、夜戦部隊主隊に重巡「鳥海」が加わり、輸送隊の駆逐艦「夕凪」は水無月に入れ替えられ、修理が間に合わない皐月の作戦参加は見送られた。


最期

7月20日、カタリナからの通報を受けた米軍は、ヘンダーソン飛行場から雷撃機TBFアヴェンジャーを発進させ、西村部隊に対し夜間空襲を敢行する。反転後の夜戦部隊の陣形は、「川内、熊野《旗艦》、鈴谷、鳥海」が単縦陣を形成し、旗艦熊野右舷側に「清波、夕暮」が、旗艦左舷側に「雪風、浜風」が前後に並んでおり、三つの単縦陣が並行して航行していた。TBFが放った魚雷が夕暮に命中し、同艦は轟沈した。清波は直ちに反転し、夕暮の救援に向かったが、その途中で敵機の攻撃を受け沈没した。

1943年10月15日除籍。


関連タグ

大日本帝国海軍

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