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略歴
1992年8月、前身のバンド「摩天楼」から分裂する形で結成。初代ドラマー脱退後、サポートドラマーを迎えて(後にあるサポートメンバーが正式メンバーとなるが)活動を開始。1994年7月24日にはシリアルナンバー入り3000枚限定6曲入りとなるミニアルバム『memories』をリリース、予約分だけで完売。『バロック』新録後、音楽性の相違を理由に初代ボーカルが脱退。このせいでバンド活動停止を余儀なくされる。
1995年10月10日、オーディションにて発掘したヴォーカリストを正式メンバーに迎え、ライブ「華麗なる復活劇 ~新たなる悪意と悲劇の物語が始まる~」にて活動再開。この公演のチケットは当然のようにソールドアウトした。1996年にアルバム『Voyage Sans retour』、ブックレット付きシングル『ma chérie~愛しい君へ~』をリリース。そして、1997年に日本コロムビアと契約し、『ヴェル・エール ~空白の瞬間の中で~』でメジャーデビューを果たした。
ライブもCDも好調だったにもかかわらず、ある日を境にメジャーデビュー時のヴォーカリストは失踪。これが事実上の脱退表明であった(後にファンクラブ会報で脱退したことを報告)。さらに、翌年には2代目ドラマーがくも膜下出血で急逝。残された3人は日本コロムビアとの契約を終わらせ、Midi:Nette M.†.Mを設立。インディースへと舞い戻った。秋にはインストゥルメンタルシングル『再会の血と薔薇』をリリース。
次のシングルではコーラス隊を招き入れるなどの実験要素も導入し、『白い肌に狂う愛と悲しみの輪舞(ロンド)』でとうとう3代目ヴォーカリストと思わしき男性の歌声が入った。2000年7月の公演でそのヴォーカリストの名前と姿が披露され、正式なメンバーとして迎え入れる。その後もインディーズながらも精力的に活動するも2001年12月31日、メンバーそれぞれの自由な発想により各々の活動を展開しようという考えからバンド自体が活動休止に入ることとなった。
ヴォーカル以外は現在でも交流が続いているようで、たまにではあるがセッションライブを行っている。
概要
1990年代、多くのバンドに多大な影響を与えたヴィジュアル系バンドの一組。バンド名の由来は「悪意と悲劇」という意味を持つフランス語。独自の世界観を形成し、メイクやキャラクター、音楽性すべてが徹底していた。大半のメンバーがクラシック音楽の知識があったことから、音楽も教養高い要素も取り入れられていた。その為、彼らの音楽は一概にどれとも言えず、ゴシック寄りのアートロックやプログレを演奏したかと思えばシンセポップスに接近して踊ってみせたり、フレンチポップスを取り入れたりとメンバーのバックグラウンドを上手くフィーチャーした楽曲を生み出していった。
ライブも演劇要素を取り入れ、セットも中世を舞台としたオペラのような凝りに凝ったセットを組んで観客を魅了するなど、視覚面でもバンドの世界観再現を重視。
売上も好調であることから当時の事務所や音楽レーベルは彼らに期待をかけていた。しかし、ヴォーカリストの失踪とドラマーの急逝を境に思ったとおりに活動停止を余儀なくされるなど、バンドの由来通りの展開が度々見られた。
メンバーとその後
この項目ではこれまでのメンバーと現在について記載する。
2001年最終メンバー
- Klaha(Vocal)
- Mana(Guitar, Synthesizer)
- Közi(Guitar, Synthesizer)
- Yu~ki(Bass)
Manaはソロ・プロジェクト「Moi dix Mois」にて音楽活動を継続、ファッション分野でも「Moi-même-Moitié」というブランドを立ち上げ、デザインとプロデュースをを手がけている。一時はゲーム雑誌にてコラム連載を持っていた。
Köziは本格的にゴシック・ロック、インダストリアルへと足を踏み入れる。Eve of DestinyとZIZのメンバー、もしくはソロで音楽活動を続けている。
Yu~kiはクリエイターとして活動をしており、音楽は勿論だがアクセサリなどの制作も手がけるようになった。しかし、テクノロジーに疎い彼はたまにManaらの手を借りている模様。
Kalahaのみ、ソロ活動表明後の消息が不明。
過去の在籍メンバー
- TETSU(Vocal)
- Gackt(Vocal, Pf)
- GAZ(初代Drums)
- Kami a.k.a. 右狂/神村右狂(Drums/Percussions)
初代ヴォーカルのTETSUは本名である高野哲に戻し、ロックヴォーカリストとして音楽活動を再開。脱退理由も単純にバンドの音楽性と自身の音楽性が合致しなかったからであった。
二代目ヴォーカルのGacktについは御存知の通り、タレントとして成功している他、がくっぽいどの父上などといった二次元界隈でも活躍している。
GAZはKneuklid Romanceに加入し、その後はDOVERMANのメンバーとなった。
Kamiこそ、くも膜下出血で急逝したメンバー。彼が遺した音源は後に「神話」というパッケージになった。
各種エピソード・トリビア
- 当時、ヴィジュアル系バンドといえば確かな技術をもって演奏する実力派ばかりであった。しかし、マリスに関しては演奏技術や音楽センスだけではなく、メンバー全員で踊ったり、楽曲のバックグラウンドを演じたりと1バンドに留まらない表現を行い、観客の度肝を抜いた。この事から、寸劇を用いるバンドや打ち込み主体のバンドも出現するようになった。
- プライベートでもキャラ設定を徹底していたようで、夜はろうそくを灯すなどしていた。もっとも、Mana様に関しては端からゴスロリファッションしか持っていないが。
- メジャー時代はガノタ2名とレトロゲームヲタクが共存していた。
- あまりに高貴なお声なので、Mana様のお声はメンバーか雑誌編集者しか拝聴することができない、貴重な音。高貴すぎると我々には毒にしかならない。
- KamiとGACKTのセッション(例①/例②)は日本のロックシーンにおいて今でも語り継がれるほどの名演として評価されている。