Mana様
まなさま
広島県出身のO型で、3月19日生まれ。
これまでに摩天楼、MALICE MIZERに在籍していたが、現在はソロ・プロジェクトに該当するMoidixMoisにて音楽活動を、ファッション分野においては「Moi-même-Moitié」を設立するなど、ゴシック・アンド・ロリータのカリスマで在り続けている。
メディアやライブで肉声を披露することはほとんどなく、その声を聞くことが出来るのは雑誌(音楽等のテキストメディアサイト)編集者と音楽業界の人間だけ。我々ファンの場合はジェスチャーか通訳を通じて出ないと拝聴することが許されない。
…ただし、MALICE MIZER2期最初の頃はうっかりなのか設定をまだ作り込んでいなかったのか深夜の音楽番組で普通に「ギターのmanaです」と自分で喋っていたことがある。
また、Moi dix mois以降はメンバーのMCなどで笑いが堪えきれなくなったような時は舞台袖に走り込んでいる。
Moi dix moisのメンバーには「ボス」「マナ兄」と呼ばれ、かつて摩天楼で共に活動しKnewklidRomance及び断頭台のメロディーで現在活動する小笠原健一とは公でも「おがけん」「マナちゃん」と呼びあう仲である。
以前は摩天楼というバンドでベースを担当していたが、ある日を境に摩天楼のメンバーが分裂。その時に集まったkoziと中心となってMALICE MIZERを結成。バンドではギタリスト、シンセストとして在籍した他、音楽面での指揮を執っていた(摩天楼の前にはVes:teargeやGIRL'eにも在籍していた)。
MALICE MIZER活動停止後はソロ・プロジェクトであるMoi dix Moisを始動させる。この時の音楽性はMALICE MIZERの時には一要素として取り入れていたヘヴィメタルへと舵を取り、ギタリストとしての側面を強めていった。
父親が音楽教師だったこともあり、幼少の頃からクラシック音楽に慣れ親しんでいたことから、彼の楽曲はクラシックとロックを融合させた音楽が目立つ。シンセサイザーではよくチェンバロやパイプオルガンの音を多用する。
MALICE MIZERの初期まではこうした表現にギターシンセサイザーも使用していたが、当時のギターシンセのスペック上の限界で「弦を爪弾いてから発音するまでのタイムラグ」の問題があったのとワイヤレスにできないためステージングに制限がかかる面倒が嫌になり、早々に同期をかぶせる方向に変えている。
このような音楽バックグラウンドがあるためか、チェリスト兼ヴォーカリストである分島花音のプロデュースも担当したことがある。
前述のとおり、ゴシック・アンド・ロリータ(所謂ゴスロリ)のカリスマとしてゴスロリ少女たちから熱い支持を得ている。自身もジーパンやスニーカーなどカジュアルなファッション・アイテムは一切持っていないので、たとえコンビニへ出かけるときもステージ衣装まんま(もしくはそれに近いゴスロリファッション)で訪れる。Mana様にとってはすでに普段着の領域なのだ。
そんなMana様もファッション・ブランド「Moi-même-Moitié」を設立。ブランドマークは「進むべき道を照らす道しるべを意味し、社会や流行にとらわれないスタイル、知的で高貴な美を探求をしていくシンボル」として燭台(キャンドルスタンド)を採用している。ブランドは女性的なE.G.L(エレガント・ゴシック・ロリータ)と中性的なE.G.A(エレガント・ゴシック・アリストクラット)の両軸で展開している。
かなりのゲームハードコレクターで、プレイステーションやファミコンなどのメジャーなものから、ネオジオポケットや3DOなど、知る人ぞ知るハードを多数所持している。特に造形美として気に入っているのが3DOで、「パルテノン神殿的な美しき造形美」と絶賛している。
なお、ゲームラボのインタビューで3DOのすばらしさを語ったが、それでも語りきれなかった(!)Mana様はブログに追加記事を投稿。その記事を読んだゲームラボ編集部よりコラムのオファーが届き、「Mana様の郷愁なるGame inferno」の連載をゲット。以後、担当退職まで連載を続けていた。
Macintoshユーザーで、ちょっとしたマシントラブルくらいなら自力でリカバリできるくらいに愛着はある。
カレーと鰻が好物で、特にカレーはMALICE MIZER時代から愛好家ぶりをファンに見せつけた。結果、「カレーのマナ(魔名)様」の異名をゲット。地方ファンはMana様に評判のカレー店を紹介するといいかもしれない。
また、飛行機好きでボーイング787とエアバスA380がお気に入り。が、乗るのはダメ。
ホラーは所謂洋ホラーは好んで見ているが和風ホラーはあまり見ていない。