"I'm not boy"
概要
ゲームメーカーSNKが展開した携帯ゲーム機。
1998年10月に発売されるが、後述した販売戦略上の問題によりその半年後には「ネオジオポケットカラー」が、更に2年後の2001年にSNKが倒産した事で非常に短命に終わっているものの、ソフト自体はそれなりに展開された。
この時代、多くのメーカーが自社製の携帯ゲーム機を市場に投入していたものの、
ネオジオポケットは以下に述べるような販売戦略上の失策が複数あり、
当初の目的であるゲームボーイとの覇権争いはおろか2番手3番手争いにも敗れ、
SNKファン向けのマイナーハードというような立ち位置になってしまった。
機能面の特徴
当時の携帯ゲーム機としては珍しく内蔵ソフトが存在しており、ROMカセットを挿入せずに電源をONにすることで時計・カレンダー機能などが利用できる。時計機能と連動して、指定時間に電源を入れられるアラーム機能、ROMカセット側から参照する事で特定の時間・日付に遊ぶ事で楽しめる要素などが組み込まれていた。
当時のSNKのソフトウェアラインナップが格闘ゲーム主軸であったことから十字キー部分がメカニカルスイッチを用いたジョイスティックとなっており、携帯ゲーム機としては格闘ゲームのコマンド入力が非常に行いやすく操作性も優秀なのも特徴。
本体のカラーバリエーションは多数用意され、カーボン柄や迷彩柄など複数の色を使ったものや、中身が透けて見える半透明のものも存在した。
また、SNK本社が大阪にあることから、某球団モデルも販売された。もちろん虎キチで有名なあの会社のあのヒゲも購入している。
本体中央部の液晶ディスプレイはモノクロ8階調。「ネオジオポケットカラー」専用ソフトは本機では動作できないが、全く動作しない訳ではなく、ソフト側にネオジオポケットカラーでの動作を促す警告文が入っている場合、それが表示されるようになっている。なお、モノクロ版とカラー版の双方に対応したソフトも存在する。ちなみに、モノクロ版のローンチタイトルの中にすでにカラー対応ソフトが含まれていた。
販売戦略上の失敗
販売スケジュール上の失策
前述の通り、1998年10月28日に発売されているが、その7日前にゲームボーイファミリーの新型、ゲームボーイカラーが発売されている。世間がカラー液晶の新型を持て囃す中、モノクロ液晶の携帯ゲーム機を発売という一手送れたリリースとなってしまう。加えて、ゲームボーイカラー6800円に対しネオジオポケットは7800円と、価格面でも不利であった。
ライバルのゲームボーイは、ゲームギアやPCエンジンGTなどのカラー液晶・高性能をウリにしていた後発機を価格、電池持ちなどの実用面、ソフトの充実という3要素で上回ることによりトップシェアをキープしていた。そのゲームボーイがカラー液晶かつ値段はほぼ据え置きとなったことでゲームボーイカラーの独走状態になる…というまさにその瞬間にデビューすることになったのである)。
ネオジオポケットとネオジオポケットカラーの衝突、迷走
上述の理由で微妙なデビューとなったネオジオポケット(モノクロ)であったが、実は発売前からすでにネオジオポケットカラーの発売が決まっていた。
当たり前だがカラーの発売が決定しているのにモノクロの需要があろうはずもなく、ネオジオポケットは発売直後なのにワゴン直行という憂き目にあってしまった。だったら最初からカラーで発売すればよかったのにとは誰もが思う所だろう。
ネオジオポケットカラーは製品としての出来はよく、特に液晶品質の高さが評価される。しかしその反面、価格は8900円と上昇しており、ライバルゲームボーイカラーの6800円とは一つ違う価格帯になってしまった。この点を機にしたのか、7ヶ月後に軽量・廉価版NEWネオジオポケットカラーをGBCと同じ6800円で発売するなど、前2機種を購入したユーザーも困惑してしまう迷走っぷりを見せていた。
(NEW版は右上のColorの字体が異なる)
ソフト供給の失敗
ゲームボーイが市場で圧倒的な支持を獲得してた理由の一つが豊富なソフト展開であったが、ネオジオポケットはこの部分でも不利だった。一応、ネオジオポケットカラー時代まで含めると全82本のソフトが発売こそされたものの、モノクロ版ネオジオポケットでは45本しかプレイできず(一応後方互換自体はあるのだが)、ソフトの開発元はSNK、ADK、夢工房というSNKファンからしたいつもの面子が中心となっている(カプコンから5本、セガ系列から3本のソフトが発売される、ドリームキャストとの連動機能など他社とのコラボ要素もあったが、SCEIは参入予定となっていたものの実際にはソフトを発売しなかった)。
また、ソフトラインナップに関しても格ゲー以外に関しては麻雀、パチンコ、テーブルゲームなどジャンルに偏りがあった事は否めない。当時携帯ゲーム機としては唯一だったR-18指定付きの脱衣麻雀、ゲーム雑誌で取り上げられた事から注目された『水木しげるの妖怪写真館』、当時注目度の高かった『SNK VS. CAPCOM』シリーズなどユニークな作品こそあったものの、それ以外のソフトに関しては一般受けしにくいものが多く、販売数で苦戦する要因となった。
キラーIPの不在とタイミングの悪さ
前述のように、販売戦略上で様々な問題点があったネオジオポケットだが、それでもあと数年早く発売に漕ぎ着けていればまだ善戦、もしくは勝利できたのではないかと言われることもある。
というのも、ゲームボーイ自体の発売は1989年と大分時間が経っており、ファミコン程度のスペックしかなかった事も相まって95年時点では既に落ち目のハードになりつつあった(現に販売されるゲームも減少していた)。しかし96年に『ポケットモンスター』の販売によって全てがひっくり返る事になった。最初こそ売れ行きが鈍足だったが、ジワジワと勢いがあがり、最終的に超絶大ヒット作品に化けた。このポケモン効果により、ゲームボーイはかつてないほどの勢いを得る形で息を吹き返した。更にポケモンの恩恵に預かろうと多数の会社が類似の育成・バトル系のゲームをゲームボーイ向けに販売するようになり、キラータイトルの存在が97年以降の販売タイトルを一気に増やしたのである。
初代ポケットモンスターは全バージョンをひっくるめた最終的な総売り上げは日本だけでも1335万本、世界全体で言えば4604万本という、今も総売り上げランキングに乗る化け物キラーソフトである。加えて、98年というタイミングは初代ゲームボーイから約10年が経過していたため、いつ後継機が出てもおかしくないタイミングでもあった。01年に発売された同機はポケモンを筆頭、ゲームボーイ系の強力IPを後方互換や通信機能などを駆使してそっくりそのまま移行させることにも成功し最大シェアの座を盤石なものにしている。そうした時期にゲームボーイより上程度のスペックでIPもほぼSNK系という、丸腰状態でシェアの切り崩しに挑んだのはあまりにも無謀かつタイミングが悪いと言わざるを得ない(実際、後発ながら善戦したワンダースワンはデジモンを筆頭、子供人気のIPという武器を多数持っていた)。
こうした背景から、仮に販売戦略に問題が無かったとしても勝ち目がなかった。もしネオジオポケットに勝ち筋があったとしたらゲームボーイが落ち目の93~94年辺りに販売し、任天堂がポケモン販売前に撤退を考えさせるほどに逆転の目を摘むかゲームボーイの後継機が出る事を予想してさらなる高性能機に仕上げるのどちらかしかなかった…という意味で、前述のように言われるのである。
ユーザーからの反応・その後
以上のように非常に混乱した販売戦略のせいかネオポケシリーズは今ひとつ知名度が伸びず、
更にSNKファンからも迷走する販売戦略に困惑する声があった。そうこうしているうちに発売元であるSNKも倒産してしまい、結局発売されたゲームは上で述べたように82本で打ち止め。シリーズ累計販売数は日本で50万台、世界で80万台と、PCエンジンGTよりは売れたがワンダースワン、ゲームギアには及ばないという微妙な立ち位置で終わった。
SNKの倒産はハイパーネオジオ64の失敗やお台場のネオジオワールドの経営不振などが原因として知られているが、ネオポケシリーズも原因の一つだったと言われている。
SNK倒産後は後継子会社のSNKプレイモアに知的財産権が譲渡されたが、
新体制が整う頃にはすでにゲームボーイアドバンスが携帯ゲーム機の主流となりつつあった為にネオジオポケットの展開は打ち切られた。
ソフトのアーカイブ化も以後全くされないままとなっていた為、データや権利が散逸しているのではないかという噂(プレイモアが競売にかけられたネオジオポケット関連の権利を引き継がなかった等)も存在した。
時は流れて2019年、ニンテンドースイッチ版SAMURAI SPIRITS(2019)の早期購入特典として、ネオジオポケットカラーソフト「サムライスピリッツ!2」が付属する事となり、現代のゲーム機でネオジオポケットが復活した。
2020年にはネオジオ30周年を記念して通常販売第1弾「SNKギャルズファイターズ」がSwitch向けに配信され、通常販売では同作が初の移植となる。「サムライスピリッツ!2」は第2弾、「ザ・キングオブファイターズR-2」は第3弾として一般販売もされる予定。
2021年にはネオジオポケットカラーの上記のタイトルを含めた10作品をセレクションした「ネオジオポケットカラーセレクションVol.1」が配信。本格的にネオジオポケットカラーのアーカイブス化が実現したのである。
挑戦的過ぎたCM
このネオジオポケット(カラー)を語る上で決して外せない話題と言えば、SNKユーザーを苦笑させた(?)CMだろう。
まずは以下の動画をご覧いただこう。
これの何処が挑戦的かと問われれば、某有名アイドルの某イケメンがイメージキャラクターを務めた、某大手の某当時最新携帯機が発売される時期に、このCMをよりにもよってゴールデンタイムに放映したのだ。
・・・良く訴訟沙汰にならなかったと言わざるを得ない。
しかしながら時は流れ、先述のように"I'm not boy"といえる任天堂のゲーム機で復活したのである。