日本愛国者
にほんをおもうひとびと
日本における「愛国」の語源
語源となったとされる逸話は日本書紀に記されており、当時の福岡県八女を統治していた大伴氏の農奴である大伴部博麻(おおともべのはかま)は、663年の『白村江の戦い』で唐と新羅(朝鮮半島南東部にあった国家)の連合軍に捕らえられ、長安に捕虜として連れて行かれてしまう。
連れて行かれた先で、敵側に「日本を攻めるなら今だ」という気運が高まっていることを知った博麻は、祖国にそれを伝えるために自分自身を奴隷として唐人に売り、それで得たお金で捕まっていた高官4人を日本に返し、そのおかげで水城や大野城などの防衛ラインの構築が進められ、連合軍は日本侵攻を諦めたとされ、このことから博麻は日本の歴史上で唯一の「奴隷(※)」とされている。
それから30年後、日本人の奴隷がいると聞いた新羅の外交官が、その珍しさに興味を持ち博麻に会いに行くと、彼のその国を護るために我が身を売り渡した信条にいたく感銘を受け、博麻を買戻して故郷へと送り返した。
30年経って遂に祖国に帰ってきた博麻だったが、すでに自分を知っている人は誰もいなくなっており、寂しい思いをしている時に都から一通の書状が届く。
それは天皇からの直接のお手紙である「勅」であり、八女の農奴の身分である博麻に「あなたの国を愛する気持ちはすばらしい」との持統天皇からの感謝状であったという。
この「国を愛する思い」というのが、日本における『愛国』の語源になったと言われている。
※
当時の日本における「奴隷」の概念は、他の民族や現代で言う「奴隷」とは概念が違い、日本以外の国における奴隷の概念はもはや人間ではなく物・家畜同然であり、日本において「奴婢」「農奴」と呼ばれる人々は、日本以外の国ではそういう人間以下の扱いであったが、一方で日本における「奴婢」「農奴」は、日本以外の国においての「奴隷」と言う意味ではない。と言うのも日本では身分の高い低いが存在しても、その高低は「優劣」ではなく「役割」だと考えられており、奴婢や農奴も一種の『職業』として見られ、務めていた人々も一人の人間として扱われ、一家の主人(一族の棟梁)がその人たちの生活や将来のことまで心配するほどであったという。