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岐阜市内線の編集履歴

2015-07-24 14:34:02 バージョン

岐阜市内線

ぎふしないせん

かつて名古屋鉄道が運行していた路面電車

岐阜県岐阜市の岐阜駅前から徹明通り、忠節橋通り、長良橋通りを通って忠節駅までを結んでいた。徹明町で美濃町線、忠節駅で揖斐線と接続していた。全線が道路の上を走る複線の併用軌道だった。

廃止に至るまで

岐阜市は長年岐阜市内線に対して敵対する姿勢を見せており、。1967年には市議会において路面電車廃止決議が可決されており、名鉄との協議で補償問題がまとまらず棚上げになったものの、決議そのものは現在も有効らしい。

岐阜市内線は通過する道路幅員が狭く、本来は道路交通法で禁止されている軌道敷内の自動車の通行が許可されていた。これにより電車の定時性が失われ、安全地帯も岐阜駅前停留所を除いて存在せず、乗車するにも命がけという利用客からすれば不利な条件ばかり重なり、赤字幅が拡大するという悪循環に陥っていた。

これに対して名鉄は手をこまねいていたという訳ではなく、岐阜県警に軌道敷内通行禁止、安全地帯設置の許可を出すよう依頼していたが、それに対する答えはいつもNOであった。ちなみに岐阜県警が安全地帯設置、軌道敷内通行禁止に対して消極的だったのは交通量の多い幹線道路である国道157号線などに安全地帯を設置すると路線バスやトラックなどの大型車両の通行が困難となるためとされているが、広島電鉄宇品線など、岐阜市内線が通過していた道路と同等の狭幅道路においても安全地帯が設置されている路線は存在しており、岐阜県警の言い分はただ自動車交通の邪魔になる路面電車を排除したかったが故と推測されている。

更に1988年、ぎふ中部未来博覧会開催の際に他の交通の邪魔になるという理由で徹明町から長良北町を結んだ長良線が廃止されが、この点を見ても岐阜市ならびに岐阜県警の行政における車優先の姿勢は一貫していた。


2003年、名鉄は「もう名鉄単独で岐阜市内線・美濃町線・揖斐線・田神線を支えることは出来ません。撤退します」と沿線自治体に表明。岐阜市は存続の可能性を一応探るべく、軌道敷内通行禁止、安全地帯設置実験を行い、既存利用者からは好評だったが利用者数の減少を止めるには至らなかった。


この実験結果を受けて、名鉄は600V線区からの撤退を正式表明。同年3月に軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を提出した。

名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置。公設民営方式での存続の可能性について検討を行い、継続に対して署名運動が行われた。岐阜市内線・揖斐線・美濃町線の周辺地域から、7万人強の署名が集まり提出されている。新聞などの報道では細江茂光岐阜市長(当時)はこれらの行動に対して「継続に対して前向きに検討する」と回答したとされている。

また沿線の自治会や沿線高校などからも鉄道存続の陳情や要望がなされていた。これら要望を受ける形で岡山電気軌道のほか、遠くフランスの企業からも支援検討が表明された。


しかし岐阜市は内心で「邪魔者の路面電車を体よく潰せるチャンスだぜヒャッハー!」と思っていたのか、これらの努力が実ることはなく、2005年3月を以って廃線となった。廃止後の代替交通は名鉄系列の岐阜バスが受け継いだが、実は細江市長の資金管理団体の代表者が岐阜バスの相談役(しかも元社長)で、600V線区の存続について反対の立場を表明していた。岐阜市から岐阜バスへは毎年のように補助金が支給されており、「市長の票田を守るために路面電車を潰したのではないか」と議会で疑われたこともある。

車両

廃止直前は以下の車両が運用されていた。

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