概要
主に北方で活動した艦隊で、後に志摩艦隊として南方へも展開した。
参加した主な作戦はアリューシャン攻略作戦、アッツ島沖海戦、キスカ島撤退作戦、スリガオ海峡夜戦。
主な構成員
第二一戦隊
那智
この艦隊の旗艦。 となるまえは第五戦隊にて活動していた。
キスカ島撤退作戦では燃料の問題により、出ることを断念。
マニラ空襲にて戦没。
多摩
那智が第五艦隊に来る前の旗艦。
キスカ島撤退作戦において、那智の代わりに司令部を乗せ督戦隊として参加。
北方迷彩が施されたことが有名で、一説によると「北方の美しき女王」と呼ばれていたとか。
エンガノ岬沖海戦にて戦没、最近になって正式な慰霊が行われた。
木曾
多摩の僚艦で、同じく北方迷彩が施されている。
マニラ空襲にて大破着底するも、沈没判定が出ず軍旗の掲揚などを行い続ける。
が、乗組員は後に陸戦隊となり、船体は放棄された。
終戦後、現地にて解体される。
足柄
那智の姉妹艦。 二一戦隊に編入される前は南西部で一六戦隊旗艦として活動していた。
礼号作戦の後、他の艦が内地に戻っていく中、足柄は南方に残り第五艦隊独立旗艦となる。
輸送任務中に英潜水艦の雷撃により戦没、太平洋戦争にて最後に戦没した大型艦であった。
第一水雷戦隊
阿武隈
一水戦旗艦であり、キスカ島撤退作戦の立役者。
北方迷彩ではなく、アメリカ艦への偽装として煙突を白く塗っている。
スリガオ海峡にて空襲により戦没、潮により救助されるも乗組員の多くは陸戦隊となる。
初霜
一水戦在籍日数最長にして、二水戦最後の旗艦。
護衛任務において、戦闘艦であれば大和以外すべてを守り抜き、守り切れなかった輸送艦も数えるほどという経歴自体が一水戦の申し子。
那智の没後、第五艦隊の司令部を収容し、足柄までの移動を行った。(将旗は恐らく掲げていない)
宮津湾空襲にて触雷、大破擱座。 太平洋戦争にて最後に戦没した水上艦であり、国内で最後に解体された戦闘艦であった。
霞
一水戦最後の旗艦。
一水戦解隊後、島風座乗の二水戦司令部壊滅により、二水戦司令の木村少佐により礼号作戦を敢行。
帝国海軍最後の勝利を掲げる。北号作戦では第二水雷戦隊旗艦として参加し、無事内地に帰投。
坊ノ岬沖海戦にて航行不能となり、前艦長が艦長を務める冬月の最初で最後の雷撃により処分。
潮
損傷した阿武隈の護衛につき、空襲による沈没後、生存者を救助。
ほぼ動けなくなりつつも横須賀で終戦を迎える。
かなり遅く解体されたことはわかっているが、どこで解体されたかはわかっていない。
最後の艦長は初霜の最後の艦長の酒匂氏であった。
曙
潮の僚艦。 第五艦隊に来る前は何かと理不尽な扱いを受けていた。
マニラ空襲にて戦没、木曾同様戦後引き揚げられ解体された。
初春
初霜の僚艦。若葉や初霜と異なり、キスカ島撤退作戦には参加していない。
マニラ空襲にて戦没、この時炎上する初春の上げる黒煙が初霜を覆い隠し、守り抜いたという逸話がある。
若葉
初霜、初春の僚艦。 キスカ島撤退作戦において濃霧により起きた衝突事故による損傷が大きく離脱。
志摩艦隊本隊との合流を目指す途中、空襲により戦没。
何故か資料によっては擱座していたところを駆逐艦ウォーカーにより破壊と書かれているが、これは恐らく早霜の間違いだろう。 全くサイズは違う。
不知火
霞の僚艦、もとい霞と共に一度死にかけた身。 鬼怒への救援に向かってくれるかと霞座乗の一水戦司令に命令を出され向かう。 擱座した早霜の救助に向かうも空襲により戦没。
薄雲
霞、不知火の僚艦。 吹雪型八番艦であるが、触雷による入渠で三水戦としての作戦行動には出ておらず、第五艦隊傘下一水戦にて活動。
オホーツク海での輸送任務中に潜水艦から被雷、戦没した。
その他
榧(かや)
松型駆逐艦。 礼号作戦に参加しており、その後も足柄のもとにつく(書面上の話なので要確認)。
内地に帰投した後は、秋月型最終番艦花月の下、三一戦隊として菊水作戦に参加し対潜哨戒任務を担うものの、練度不十分(特攻作戦のため若い犠牲を避けた)とされ、大和から反転命令を受ける。
戦後、ソ連へ賠償艦として引き渡され、意志の堅いという意味のВолевой(ヴァリヴォーイ)と名を改める。