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鈴木史朗の編集履歴

2016/01/21 12:35:58 版

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略歴

1938年2月10日生まれ京都市出身。

父が「大陸で一旗挙げたい」といって、それまで勤めていた有名な生命保険会社を辞めて単身で大陸へわたり、残された母は彼が1歳になるのを待って、1939年4月頃までには大陸へ渡り、幼少期を中国で過ごした。

その後、南京戦が行われたのが1939年12月であり、南京で過ごしたこともある彼曰く、戦後に中国が主張している南京大虐殺は存在しなかったとしており、「日本軍は南京市民から感謝されていた。大虐殺などありえない」と語っている。

帰国後、早稲田大学法学部卒業後1962年にTBSテレビに入社、アナウンス室所属となり、入社1年目の時にアメリカのジョン・F・ケネディ大統領暗殺の第一報を伝えた。その後各部署を転々とした後、1983年にアナウンス部に復帰。1998年に定年退職するまでアナウンサーを続けた。退職後は俳優歌手ナレーターなど他分野にも精力的に取り組み、現在は講演活動を中心に活躍している。

よく名前を「鈴木史」と間違えられるが、正しくは「史朗」である。

シニアゲーマー・鈴木史朗

彼を語るうえで欠かせないのは、大のゲーム好きであるということ。なかでもバイオハザードは全シリーズ持っているという筋金入りのマニア。更にその腕前の凄まじさから、バイオファンの間では「生ける伝説」と呼ばれている。

ゲームデビューしたのはスペースインベーダーでその後はスーパーマリオブラザーズグラディウスなどの名作もプレイするようになった。元々は、娘のために買ったのだが次第に自分がハマっていってしまった。

バイオハザードにハマったきっかけは、自身がコーナー(ご長寿早押しクイズ)司会を務めている「さんまのSUPERからくりTV」の忘年会でプレイステーションが当たり、娘からバイオハザードのソフトをプレゼントされたのが始まりである。

2008年に「鈴木史朗はゲームがかなり上手」というネットでの噂を検証したテレビ番組の中で実演している。

バイオハザード4において、最高難易度の「プロフェッショナル(3回殴られただけでやられる)」を5回クリアしており、クリアしないと遊べないゲームモード『マーセナリーズ』において、一概に初見では1万点行けば凄い方・6万点行けば一人前・10万点行けば上手い人と言われるこのモードで、史朗氏のハイスコアは何と20万5370点おわかりいただけただろうか

ハイスコアを叩き出したうえに、「ぶっ殺します」、「焼きます」など普段は冷静な面持ちからは想像できない発言をしネット上を大いに賑わせた。

以降ゲームイベントへの出演やゲーム情報誌の取材の際には、自身のセーブデータを持参して実況プレイをして腕前を披露している。また、同じくシニアゲーマーとして有名な加山雄三とは同士であると話している。

また、史朗氏はレオンジル、加山氏はレベッカがお気に入りキャラクターだという。

なお、史朗氏は原作のゲームシリーズの世界観をこよなく愛しているため、アレンジされた実写映画版はあまり好きではないと公の場で発言しており、原作のスピンオフであるCGアニメ映画を高く評価している。

ゲームをやりすぎたおかげで反射神経が研ぎ澄まされてしまっており、自動車の教習所で免許更新をした際、教官から「反応が良すぎて逆に危険だ」という評価を受けた。

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アナウンサー

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