日本兵庫県神戸市の川崎造船所で建造され、1938年に竣工したタイ王国海軍の海防戦艦である。
タイ海軍の第一回拡張計画により、1番艦のトンブリと共に2番艦として建造された。
タイの海を守りつつ、諸外国の海軍士官を招いて交流を続け、1941年のフランス海軍の東洋艦隊との戦闘であるコーチャン島沖海戦では、トンブリとは違い損傷は無く行動能力を維持していたが、1951年6月に起こったクーデターの際に座礁し、その直後にタイ陸軍の砲撃を受けて大破・沈没し、後に浮揚されて解体された。
その後日本の協力で引き揚げられるが損傷が激しく、練習艦として使用された後、解体。
砲塔と艦橋がタイ王国海軍兵学校に現存する。