概要
日米開戦時、外洋航行性能に劣る樅型(準同型艦)は大部分が哨戒艇や雑役船に転籍していたが、若竹型は多くが駆逐艦籍に残され、不向きな船団護衛に従事した。
詳細はWikipedia参照
艦歴
1922年
11月20日
起工。
1923年
9月1日
進水。進水時の名称は第八駆逐艦。
1924年
4月1日
名称を第八号駆逐艦に変更。
1928年
8月1日
計画名ではなく艦名「早蕨」が与えられた。(若竹、呉竹、早苗、朝顔、夕顔、芙蓉、刈萱も同様)
1932年
12月5日
台湾海峡の基隆北方を荒天航行中、横波を受けて一瞬の内に横転、沈没した。上部重量増加による復元性悪化が原因とされるが、物資の過積載が原因ではないかという説もある。
1933年
4月1日
除籍。
若竹型の中では太平洋戦争はおろか、日中戦争にも参戦していない唯一の艦である。
諸元
基準排水量:820t
全長:83.8m
全幅:8.08m
機関出力:21,500馬力
最高速力:時速35.5ノット
乗員:110名
兵装:12.0cm単装砲×3
6.5mm単装機銃×2
53cm連装魚雷発射管×2