説明
人間界では魔法が使用されないことから「魔法がない」という意味と推測されるが、結希かの子のように魔法や魔法使いの存在を信じる者がごくわずかにいる。
魔法
実際のところ、ナシマホウ界でも魔法は普通に使える。
つまりこの世界には「魔法がない」のではなく、「魔法つかいがいない」という方が正しい。
そしてなぜ魔法つかいがこの世界にはいないかというと、「魔法の杖」が生み出されないからというそのことに尽きる。
なお、ナシマホウ界には魔法界の魔法つかいたちが何人か紛れ込んで生活をしている。
しかし、その場合は「ナシマホウ界の住人に魔法が使えることを知られてはいけない」というルールを守らなくてはならないとされている。
それを破った魔法つかいは、魔法の杖を没収された上でそれ以後の魔法の使用が禁止されるのだ。
そんなわけで、本物の魔法つかいさえもナシマホウ界では「魔法つかい」だと名乗れない。ゆえに「魔法つかいがいない世界」になってしまっているのだ。
ただこれは魔法を使うなとは言ってないことに注意。
みらい「見つからなければいいってことじゃない?」
なお、ホウキで空を飛んでいるところを遠目で誰かに目撃された程度ならば、それが何者かがわからないままならばそこまで問題視はされない。多くのナシマホウ界の人間たちは不思議なものを目撃したとしても、正体が不明なままならば何かの見間違いだったのかもとしていつしか忘れていくからだ。
しかし、明らかに目立つ行動をしてしまい、自分が魔法つかいであることを認めざるを得ない状況になってしまうとダメということのようだ。
なお、リコは第1話でみらいに魔法つかいだと指摘されてそれをあっさり認めてしまっている。これは明確なルール違反だが、この当時はリコは魔法秘匿の掟自体を知らなかった。
そもそも魔法学校の学生には魔法界から外へ出ることを校則で禁じており、ナシマホウ界での振る舞い方などはまだ若いリコは教えられる段階に至っていなかったのである。
第2話でリコはこの校則違反で退学危機になっていたが、本当はそれどころではない罰を受けるはずだったのだ。しかし、校長がみらいに魔法学校に通うことを勧めてみらいを魔法つかいの一員に迎え入れたので、結果的に「特例」としてお咎めなしになった。
また、この校長本人は何十年も前にみらいの祖母である結希かの子の目の前でホウキに乗って空を飛んでいるところを見られてしまい、挙句に彼女と会話までして魔法つかいであることを認めている。第1話のリコと全く同じことをやらかしてたというわけだ。
その校長の独断によってリコの罰が免除されたのは色々と感じ入るところでもある。
余談
人間界の特徴なら他にもあるだろうに、「魔法がない」ことを強調した呼び名となっていることから、魔法界側が人間界へ向ける意識に不穏なものを感じ取る視聴者もいるとかいないとか(少なくとも過去のシリーズの別名である虹の園や緑の郷はまだ綺麗な呼び方)。
実際のところ、魔法界の住人の感覚では「魔法がない不便さを補うために、機械とかいうものを発明した奇妙な世界」という認識があるようで、つまりは機械技術は魔法の代替物という感じのようだ。
まぁ、ナシマホウ界の普通の人たちは魔法界のことさえ知らないが、魔法界ではナシマホウ界の存在は広く知られていて興味深い研究対象のようになっている時点でどちらが上位かは……
なお、魔法界の住人たちを「つまらない魔法しか使えない劣った連中」と見下している闇の魔法使いたちに至っては、ナシマホウ界の人間を「つまらないもの」さえ使えないどうしようもない下等種族として完全に見下している。
……一時間前の言葉を借りればこの世界をなめるなよ
一応本編ではナシマホウ界行きに憧れる魔法界の住人も多く、闇の魔法つかいのような侮蔑的な目線で見ている人はそういないようだが(実際、校長は「ナシマホウ界でも魔法のなんたるかを学ぶことはできる」としてリコの留学を許したし、リコ本人もナシマホウ界の機械技術に魔法にはない可能性を感じて終始驚いていた)。
……いくらなんでも、こんな展開にはならないだろう、世紀末レスキューや「ゼロ」に召喚されるファンタジーではあるまいし。
……とか思ってたら、既に前例がいた。