江戸後期から明治初期に生きた駿河(静岡)は清水の伝説的ヤクザ。本名、山本長五郎。
人物
米問屋の養子で、米屋を継いだが博徒となり、侍崩れの大政・小政や森の石松など多くの仲間を従える一大勢力となり、敵対勢力とは壮絶な抗争劇を繰り広げた。ついには富士川周辺やその近海の海上交通を牛耳る東海一の大親分として成長
時は折りしも動乱の幕末。悪化していた地域の治安を維持する自警団の役割りを担った。戊辰戦争で江戸に進撃する官軍の先鋒も務めた。その一方で近海で沈没した幕府方の咸臨丸の救助や使者の弔いをするなどして山岡鉄舟や榎本武揚の知己を受けた。
晩年近くは出生地である清水のために私財を投じて富士の裾野の開墾や船会社の創設に尽力し、外国との貿易の交渉のために山岡を通して英語塾を開設した。
一時は賭博の罪で逮捕されたが榎本たちの働きかけで釈放された。
血生臭い話も多いが、最初の女房(おてふ)が忘れられず、後妻におてふと名乗らせる人間臭い逸話や、実業家としての貢献などから多くの人に慕われ講談などの題材に多く取り上げられた。
侠客でありながら清水に貢献した名士であり、先述のエピソードも含め長五郎ひきいる「清水一家」は清水の好漢伝説として親しまれたが、後述にあるように現代の暴力団として別物が新生してしまった際には清水の人達は困惑と遺憾を持たれてしまった。
名士である清水次郎長の「清水一家」と現在の「清水一家」は全くの別物として線引きして考えるべきという意見もある。
清水次郎長を題材とした作品
次郎長放浪記 - 阿佐田哲也の小説。また、それを原作とした原恵一郎の漫画。後者のほうの次郎長は原のキャラデザにより美男子に描かれている。
1966年まで一家の後継組織も存在していたが、2007年に名跡を継ぎ6代目清水一家と言う暴力団が誕生したため迂闊にフィクションでも取り上げられなくなってきている。