1919年に川崎造船所兵庫工場に航空機製造所が設けられた事が発祥である。1937年には川崎航空機として独立。
終戦とともに、GHQによって航空機の製造が禁止されて他の航空機メーカーと同じく民需品への転換を迫られるも、朝鮮戦争の勃発に伴って米軍の軍用機の整備作業を皮切りに再び航空機メーカーとして返り咲く。
1969年に川崎重工業に再び吸収されて、川崎重工業航空宇宙カンパニーとして現在も存続している。
各種軍用機、民間機の製造を手掛けてきた経験から、似た経歴を持つ富士重工業共々バスの車体の架装を行っていた。