「見せてやろう、お前の愛が何を救い、何を殺すのか!」
声優
小林修:『さらば愛の戦士たち』&『ヤマト2』
概要(オリジナル版)
白色彗星帝国ガトランティス大帝。自らを「宇宙の絶対者」と称する程の、神のごとく驕り高ぶった人物である。その絶対にまでに持った自信により、敵対した相手には尽く苛烈なまでの攻撃を極め、戦闘員・非戦闘員を分けない無差別攻撃で数々の星を征服しており、その圧倒的軍事力で全銀河系を支配下に置かんと目論む。
ビジュアルは、劇場版とTV版で異なる。劇場版は中肉中背の体格で、黒を気色としたスーツと黒マント(内側は赤)、白の靴、白の手袋を着用、眉毛と一体化した独特の白髪をしている。
TV版は肉体的に筋肉質になっており、より弱肉強食の王者らしい風格を放っている。服装も袖や裾が見えていた劇場版と違って、黒のブーツと白の手袋で裾、袖を隠しているため、マッシブ感が増したとも言える。
デスラーとの関係
劇場版
単に傲慢なだけの独裁者ではなく、宇宙を漂流するデスラーを救出しているが、劇場版とTV版では微妙に待遇の違いが出ている。劇場版では、デスラーがヤマト討伐に出撃するに際しては「出撃に当たっての儂の手向けだ」と言って最新鋭艦を与えるなどの待遇をしており、彼が戦死した際には「奴も死に場所を得たのだ」と短い言葉ながらも死を労わるなど、その視線は上からの雰囲気が強く出ている。
TV版
一方でTV版では、デスラーとの信頼関係が上下というより概ね対等に描かれているのが特徴である。デスラーの能力と誇り高い心、並びに強い執念を認めた上で瀕死の彼を蘇生させている。加えてデスラーを呼ぶとき「総統」と付けて呼ぶ当たり、彼のデスラーに対する関係を現しているとも言える。また一時はサーベラーの策謀でデスラーが謀殺されかけたが、改めてデスラーを誇り高き武人である事を再認識させている。
加えてTV版では、部下のサーベラーやゲーニッツらの無駄な謀略で多くの兵が無駄死した事を激怒し、厳格な処罰を下している。
概要(2202版)
リメイク作品『宇宙戦艦ヤマト2199』でも、度々ガトランティス人の口から「大帝("ズォーダー"と発音)」という人物の存在が語られているが、この「大帝」なる人物が旧作におけるズォーダーと同一の存在かどうかは不明。そもそもこの"ズォーダー"という名詞が、現在ガトランティスを統治している指導者の名前なのか、はたまた「大帝」を意味するガトランティス語に過ぎないかどうかもはっきりとしていない。しかし、劇場作品『星巡る方舟』ではハッキリと「大帝」と発している。
さらに続編2202に似てその姿が明らかにされており、ビジュアルは基本的に変わりはないが、オリジナルに比べて、絶対的力の支配者という雰囲気を強く体現しており、髪もやや跳ね返りの強い形となり、他者を圧する目力、さらに武闘波を思わせる筋肉質な肉体をしている。どちらかといえば、「ヤマト2」版のズォーダーを踏襲しているようである。より猛々しい姿へとパワーアップしつつ、ゴラン・ダガームと同様に腰に大剣を下げているのも特徴である。
愛
オリジナル同様に力による支配を絶対にしながらも、本作で一番の違う点はと言えば哲学的な思考も兼ねつつ、〝愛”に対して非常に拘っている点にある。オリジナルでは彼が愛を口にすることは一切なかったが、本作では冒頭のナレーションから
『生まれ行く星も有れば、死んでゆく星もある。そうだ、宇宙は生きているのだ・・・・・・生きて・・・・・・生きて。だから・・・・・・愛が必要なのだ』
と公言する。加えてテレザート星攻略の祭にも
『やはり、愛が必要だ。この全宇宙から根こそぎ苦痛を取り除く、大いなる愛が』
これは、製作者である羽原氏や福井氏の考える「愛は様々」であることと、時として「愛は凶器になる」との考え方を反映したもので、誰しもが同じ愛を持つとは限らない、ズォーダーならではの愛を表現している。
まして第三章『純愛編』でもタイトル名からしても愛を謳っており、ズォーダーは自らを
「愛を知る者」
と公言したり
「見せてやろう、お前の愛が何を救い、何を殺すのか!」
と愛と言う言葉とは裏腹に重いものである事を示唆している。
余談
眉毛と髪の毛が繋がっている。
あと凄く笑う(ヤマトとの戦いで画面に映ったシーンの殆どで「ガハハハハハ!!」と高笑いしている)。