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剛竜馬の編集履歴

2018-06-08 02:48:48 バージョン

剛竜馬

ごうりゅうま

「プロレスバカ」の異名を持つ日本のプロレスラー。故人。

1956年生まれで神戸市出身のプロレスラー。本名は八木 宏(やぎ ひろし)

来歴

母子家庭で育ち苦労している妹たちに楽をさせてあげたいと中学卒業をまたずに上京。

日本プロレスで数か月練習生として通い、14歳の若さで国際プロレスの第1回新人公募に選出。

新日本プロレス、第一次UWF全日本プロレスとわたり格闘派レスラーとして絶頂期を迎えた。

1981年、テレビ朝日系列の連続ドラマ『警視庁殺人課』に出演するが途中降板した。


その後、自ら設立した『パイオニア戦志』は資金不足からレスラーが集まらず、旗揚げ戦では選手がリング上で腕立てやスクワットをする、お客さんをリングに上げてレスラーと腕相撲させるなど常軌を逸した展開で「公開スパーリング」どころか「公開トレーニング」とボロクソに言われた。

経営に行き詰まって1990年12月に解散後、1992年6月に新団体『オリエンタルプロレス』を旗揚げして再出発するが、赤字続きで短期間で姿を消した。


低調ながらも地道に活動を続けるがライバルだった藤波辰爾から見放されたり、借金苦や体調不良など不遇の時代が続き、2003年には69歳主婦の財布をひったくったとされ、188日間拘留所で生活を送ったが不起訴処分となった。

その事件を伝えた東京スポーツ紙の記事でゲイビデオに出演していたことが暴露される。

その他数本にも出演していたことが発覚したが、本人は「自分の体で稼ぐことの何が悪いのか」と事実を認めた。


2009年に自転車を運転中に交通事故に遭い、その際に骨折した右手首に細菌が入り込み敗血症のため死去。53歳没。

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極太親父

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