百目鬼
どうめき
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に記された妖怪。または日本にある地名及び名字の一つ。
曖昧さ回避
2.の概要
平安時代に平将門の追討に成功し、大百足退治も行ったと伝わる英雄藤原藤太秀郷(俵藤太)によって退治されたと伝わる百の目を持つ鬼。
将門を討った功績を朝廷から認められた秀郷は恩賞として下野国司に任じられ、宇都宮に館を築き暮らすことになった。
ある日、狩りから帰る途中に、地元の老人から兎場という馬捨場に百の目を持つ鬼が現れることを聞いた秀郷が退治してやろうと待ち構えていると、丑三つ時頃に刃のような剛毛を持つ身の丈十尺の鬼が現れ、馬の亡骸を食らい始めた。
最も光っている目を狙い矢を放つと、急所に当たったと見えて鬼は苦しみながら明神山の麓へ逃げていった。
体中から炎を吹き出し、口から毒気を吐いているために近づけず、次の日には焦げ跡を残し消えてしまったという。
それから400年後の室町時代に、明神山の近くの本願寺では火事が起き、住職が怪我をするなどの怪事件が頻発した。
そんな中、住職となった智徳上人は、説教に毎回姿を見せる娘がいることに気付いた。
それが邪気を失った鬼の化身であることを見破った智徳上人は、説教によって百目鬼を改心させたという。
別の伝承では秀郷が討った直後に、智徳上人が数珠を振るい法力で燃え盛る鬼を人の亡骸に変え、この地に葬ったといわれる。