尻を相手の顔面に炸裂させる技、ヒップアタック(別名ケツバット)でお馴染み。
概要だって!
1978年7月に全日本プロレスに入門。
1979年3月に園田一治(のちのハル薗田)戦でデビュー。
1983年4月にルー・テーズ拝争奪リーグ戦で三沢光晴を破って優勝。
1984年3月に三沢と共にメキシコへ海外武者修行に旅立つ。
が、その僅か5ヵ月後に三沢は帰国。越中は帰国する三沢を空港で見送っている。
危機感を持った越中は、坂口征二から誘われたのを機に全日本プロレスに辞表を提出し新日本プロレスに移籍(もっとも当初は全日本への気兼ねからかアジア・プロレスの所属としていた。)
新日本プロレスでは当初は出戻り組の高田延彦と抗争し、その高田のエグい蹴りを真正面から受け続けるスタイルで人気を博す。この時に新設されたIWGPジュニアヘビー王座の初代チャンピオンになった。
その後ジュニアヘビーでの限界を感じヘビー級に転向。
同時に髪を刈り上げヒールにフェイスターンし、反選手会同盟(のちの平成維震軍)に属し、中堅からトップに躍り出ることに成功した。
1999年平成維震軍の解散によりベビーフェイスに転向した。
2003年長州力が設立したWJプロレスに移籍。
だがギャラの遅配欠配などの金銭問題、経営上の問題などから同年10月に離脱。
以降は現在もフリーで活躍しているプロレス界の侍。
ヒップアタックの人気は今も高く健在で、現在では「ケツだけで試合を組み立てられる」とさえ言われている。
評価する点そこですか?
コンディションの良さや受身の巧さ、エッジの効いたスープレックスこそ評価してほしい。
ヒップアタックの絵だというだけで「越中詩郎」タグが付けられているらしき場合があるが、あまりそういう用法が増えると直接的に越中詩郎に関係したイラストを探す上でかえって不便となる事に注意。
ヒップアタックの絵を探すなら「ヒップアタック」タグで事足りる。
また「越中」だけで部分一致検索をすると「越中ふんどし」としての「越中」もヒットしてしまう事にも注意。
余談だが下痢でとあるシリーズを欠場したことがある。ソースは田中リングアナ。
越中、下痢で、尻ーズ、ケツ場