その日、M9.0、震度7、14mの大津波をもたらした未曾有の大震災に、東北電力女川原子力発電所は耐えた……
これぐらいやっといて「それでも駄目だった」なら、東京電力もここまで叩かれなかっただろうに。
概要
宮城県牡鹿郡の女川町(おながわちょう)は漁港として知られる石巻市のとなり町である。石巻市に取り囲まれるような姿で存在するこの町は、自らも大型漁港である女川漁港を抱えている(そもそも宮城県には他にもフカヒレの一大産地である気仙沼漁港など大型の漁港が多い)が、それと同じく女川町にとって印象的な施設は東北電力の女川原子力発電所(以下、女川原発)であった。
2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が発生。大事故として後に有名になる福島県の東京電力福島第一原子力発電所(以下福島第一原発)が大津波で壊滅してゆく中、女川原発は同じく太平洋岸に面する原子力発電所として大津波に見舞われるも、無事冷温停止の状態に移行することが出来た。
福島第一と明暗を分けたのは津波の想定高さであるが、更にその想定の違いは安全意識の違いだった。
ここでポイントとなるのがターン・キー契約である。何が何でも関西電力美浜原発を出し抜きたかった東京電力は短期間で建設するため、既に建設・稼働実績のあるプラントをそのままポン組みするこの方式をとった。ターン・キーとはプラントを自動車に見立てて、後はイグニッションスイッチを入れるだけで運転開始というものである。
福島第一原子力発電所ではこのターン・キー契約を採用するため、工期が短く・占有面積が小さく・50Hzプラントの建設実績がある、GE型Mark.Iの導入を決めたのだが、この際、GEから「海抜12m以上の高海抜プラントは実績がない」とターン・キー契約を断られてしまったため、建設前は30~35mあった現立地をわざわざ10mまで切り下げてしまったのである。
ちなみに関電美浜もWHとの契約はターン・キー方式とされているが、炉心部から三菱重工が施工に関与することが決まっており(関電はPWRが効率面でBWRに劣っていることは承知で、その点を三菱に改良させる気満々だった。一方東電は関電が先に着工した焦りからそこまで頭が回っていなかった)、東電とGEの契約とは若干異なる。
東電が関電との先陣争いを繰り広げている頃、地方電力会社でも九電玄海原子力発電所、四国電伊方原子力発電所と計画が始まった。当然、遅れてはならじと東北電力も原発計画をスタート、1968年に現立地が決まり、美浜原発が発電を開始した1970年に原子炉設置許可が降りる。
その立地選定にあたって、東北電力は明治の近代観測より前の記録にまでさかのぼって研究し、想定される最悪の津波を9.1mとし、さらに余裕をとって海抜15m程度が必須と考え、現立地にさらに埋め立てて14.8mの海抜を確保した。東北電社内でも津波が来うる海抜に原発を設置するのは絶対に駄目だという空気だった。安価で工期短縮ができるターン・キー契約を蹴飛ばして安全性を選んだのである。
- そもそもが大津波が襲来しうる太平洋岸ではなく日本海側の秋田県に設置しようという案もあった。しかし、当時は東北電管内の送電系統が貧弱で首都圏に送電できる量が限られてしまう(国の計画では東北電の原発は東電のバックアップ電源を兼ねていた)という理由で福島県か宮城県に設置せざるを得なかった。
ただ、原発の形式についてはこの時点では50Hz用プラントの施工事例がGEにしかないため、東京電力の運用データも当てにしてGE Mark.Iとした。またこの時点では反応余裕度の広いBWRと2循環系のPWRのどちらがより安全か言い切れなかった面もある(未設置の沖縄電力を除くと最後発の北海道電力泊原子力発電所は、既に三菱が国産化した後の計画になったため、50Hz地区唯一の三菱PWRとなっている)。
明治期より前の記録では福島県浜通りにも8mを超える津波が観測されていたのだが、東京電力はほぼ関西電力との先陣争いというメンツのために対策しなかったのである。
翌々日の13日に敷地内で毎時21μSvの放射線が観測されるが、冷温停止状態である女川原発由来であることは考えづらく、これは福島第一原発由来であると考えられている。
当時の宮城県では、福島第一原発事故を報じるニュースに混じって「女川原発は安全に冷温停止している」という報道がなされている。当時は福島第一原発事故ばかりが報道されており、女川原発の状態について情報が入って来ない状態であった。
また、女川町では隣接する女川原子力PRセンターに自主的に避難してくる住民が発生した(一部報道では「女川原発そのもの」とされているが誤りである)。住民いわく「この付近が一番頑丈に出来ているから安全だ」という判断の上での行動であり、これを受けて東北電力は敷地内の体育館などを開放、避難してきた住民に食事を提供するなどの措置を行なっている。
また、震災後の海外調査団には、東北電力は率先してIAEAのメンバーが直接加わることを希望した。これはIAEA側には意外だったらしい(IAEAの査察が入るようなシビアアクシデントを起こした施設は大概嫌がるため)。
余談であるが、震災前から女川原発の付近は優秀な遊漁場として釣り人には人気のスポットであった(常に温水が出ているため魚がよく集まってくる場所であった)。