概要
『本科と写し』とは、ゲーム『刀剣乱舞』における登場キャラクター『山姥切国広』と未実装キャラクターだった『山姥切長義』の双方を描いた作品に付けられるタグ。
ゲーム内における二人
現在ゲーム内で実装されている山姥切国広は、自分が『写し』でありオリジナルではないことがコンプレックスであり、表面にも態度として表れている。
また彼は『本科』である霊剣山姥切こと山姥切長義と比較されることを嫌っており、特に内番時の台詞などからそれが見て取れる。
ただし山姥切国広は台詞の中でも山姥切長義の性格などに関しては触れておらず、山姥切長義本人のことをどう思っているかについての言及も行っていないため、ゲーム内の設定としてこの二人がどういう関係性であるのかは不明である。
対面の時
2018年10月30日から行われたイベント「特命調査『聚楽第』」にてついに長義が実装された。そして、山姥切二人を組み合わせた際の回想も明らかにされた。
史実における二人
史実においては、1590年に山姥切国広が鍛刀されてから同年の小田原征伐まで、数ヶ月の間同じ主(長尾顕長)の元にあった。
……というよりそもそも、山姥切長義の主であった長尾顕長が堀川国広に写しの作刀を依頼したことから打たれたのが山姥切国広である。
北条氏から賜った霊刀を持ちながらも長尾顕長がその写しを打たせた理由については諸説あるが、どれも推測の域を出ておらず明らかにはなっていない。ただ山姥切国広の出来映えから堀川国広の腕前を買ったのか、長尾顕長は堀川国広へと、山姥切国広の鍛刀後に、磨り上げによりもともと銘が消えていた山姥切長義への銘入れを依頼している。(※山姥切長義は元は大太刀だったとも太刀だったとも言われているが、文献によって記載が異なりこちらも明らかになっていない)
小田原征伐以降はそれぞれ別の主の所有となりそのまま現代に至っているが、1997年に東京国立博物館にて行われた『日本のかたな展』にてどちらも展示されていた。それも目録には南北朝時代に打たれた筈の山姥切長義が安土桃山時代の区画に展示されていた山姥切国広の隣に・連番で記載されているため、目録通りの並び順であったならこのとき隣同士で展示されていた可能性が非常に高い。見方によっては二人はここで一度再会していると考えるのも美味しいだろう。
余談だが、山姥切長義の刀工は備前長船派ではあるが祖といわれる光忠の流れを汲んでおらず、『正宗十哲』に数えられる程に相州伝の影響を受けており、作風がとっても自由奔放(フリーダム)だった模様。
故に同じ『長船派』だからといって、単純に燭台切光忠の兄弟刀じゃないの?と考えてはいけない可能性が高い。(実装された場合、粟田口における鳴狐のようなポジションになる可能性がある)
更に余談。『刀剣乱舞』において自分は山姥を切っていないような台詞を発している山姥切国広だが、文献によっては山姥切長義ではなく山姥切国広の方に山姥退治の伝説がついている記載がなされていることがある。また現在山姥切長義を所蔵している徳川美術館ではこちらの説が採られており、写しである国広の刀が山姥を切ったため本科である長義の刀にも山姥切という名がついた、というように解説されている模様。
……もっとも、上述の通り『本科と写し』の二振りの史実には曖昧な点が多々見受けられる。山姥退治伝説や「山姥切」の名に関しても、文献によって記載がばらついておりどれが真実であるのかははっきりとしていない。
また更に、『刀剣乱舞』における設定で「山姥切国広にも山姥退治の伝説がある」という事実が考慮されているかどうかについても不明である。こちらに関しては山姥切長義の実装も含めて、今後の展開に期待したいところ。
タグ付けに際しての注意
現状この二人の組み合わせには統一されたカップリングタグがなく、大抵の場合コンビ・カプ関係なくこの二人が揃っている作品にはこのタグが用いられている模様。
(山姥切長義×山姥切国広の腐向け作品には『本科んば』『山姥切×山姥切国広』などのタグが用いられることもあるが、一つのカップリングタグには統一されていないようだ。また今後山姥切長義が実装され実装名によってカップリングタグが変わる可能性を考慮すると、現時点で特定のタグの百科記事を作成するなどして統一を図るのも良案とは言いがたい)
よって、この二人の腐向け作品には腐向け・刀剣乱腐などの棲み分けタグをつけ、検索避けが可能な状態にするのが望ましい。