曖昧さ回避
- 刀剣乱舞に登場する刀剣男士。→山姥切長義(刀剣乱舞)
pixiv内での「山姥切長義」タグの使用について
pixiv内では、この刀をモチーフにした刀剣乱舞に登場するキャラクターのタグに用いられており、投稿されている作品の殆どすべてがこちらを指している。
その為、本来の意味としてのタグを検索する場合は「-刀剣乱舞 山姥切長義」のようにマイナス検索をする事をお勧めしたい。
概要
南北朝時代(14世紀)の刀工である長義によって作られた刀の一つ。
元は太刀以上の長さであったものが擦り上げられ、打刀となった。
作者の長義は備前長船の刀工で、長船四天王の一人に数えられる。相州正宗に弟子入りし、正宗十哲に数えられている。相州伝備前と呼ばれる長船本流とは異なった自由奔放な作風が特徴。
この刀はその相州伝備前の典型とされ、長義の作中最も優れた出来と見做されているとの事(参考:刀剣春秋792号)。
擦り上げられた時期と擦り上げた人物は不明。一説によると銘打ちと前後して刀工堀川国広が擦り上げを行ったのではないかと考えられている。
全長 | 88.1cm |
刃長 | 71.3cm |
茎長 | 16.6cm |
切先長 | 7.1cm |
刀身反 | 2.4cm |
茎反 | 0.2cm |
元幅 | 3.41cm |
先幅 | 2.99cm |
元重 | 0.69cm |
先重 | 0.57cm |
重量 | 877.0g |
目釘穴 | 3 |
銘
本作長義天正十八年庚寅五月三日ニ九州日向住国広銘打
長尾新五郎平朝臣顕長所持 天正十四年七月廿一日小田原参府之時従屋形様被下置也
※意訳
これは長義の作った刀で天正18年5月3日に国広が銘を打った。
長尾顕長が所有する刀で、天正14年7月21日に小田原城に参じた際に北条氏政から下賜されたものである。
号について
2018年6月1日発行の刀剣春秋792号においては号は「本作長義」とされている。
「山姥切」という号の由来については諸説あり。
一説によると、むかし信濃国戸隠山中の山姥なる化け物を退治したことから「山姥切」と号したとされる。
しかし、別の説によれば山姥切の伝説を持つのは写し刀である「山姥切国広」の方であり、その本歌である為にこちらも山姥切と呼ばれるようになったとされている。
それぞれの説が観測された記録としては前者が昭和37年後者が大正9年と、後者の方が古い時代まで遡れる。
また重要文化財としての登録が銘である事や、所蔵元である徳川美術館において購入した際に付属していた折り紙、及び購入した延宝9年(1681年)から現在に至るまでに五度書かれた蔵帳にも本歌が山姥を切った逸話に関する記述が一度も無い等、山姥切という号の根拠となる資料が手元に一切無いという理由から展示の際に「山姥切」の号を使用しない事もあり、一般的にこの長義の刀を山姥切長義と呼ぶ事は稀である。
別名・表記ゆれ
長義の読みは「ながよし」「ちょうぎ」どちらでも可。三条派に同音の刀工「長吉(ながよし)」が居り、区別の為にこちらが「ちょうぎ」と呼ばれる。
大正10年4月発行の「刀剣と歴史127号」では「長尾長義」という呼称が用いられている。
その他
延宝9年(1681年)6月に尾張徳川家三代目藩主綱誠が152両1分で購入
鞘書は「仁壱ノ七拾九 備前国長義御刀 磨上無銘長弐尺三寸六分 延宝三乙折紙 代金拾五枚」
(「仁壱」は同家の最も重要な刀剣のうちの一口である事を示す)
令和元年5月に徳川美術館にて原史彦氏による特別講演が行われる。
講演内容は、2020年3月に発行された金鯱叢書(きんこそうしょ)第47輯にて『「刀 銘 本作長義(以下、五十八字略)」と山姥切伝承の再検討』という表題で論文として収録されている。
徳川美術館の公式HPでも内容がpdfで公開されており、モノクロではあるが刀身は勿論、本阿弥光常の記した折紙や代々の御腰物帳の写真等も見る事が出来る。
(外部リンク:徳川美術館HP/金鯱叢書)